『音色のお茶会』
「冷静に考えれば分かること」
ある日の昼休み、木陰で譜読みをしていた俺は、偶然通りかかった土浦と友達の会話を聞いてしまった。「そっか、土浦のプレゼントは手作りケーキか」
「結構前からリクエストされているからな」
「何を贈るか悩む必要はないっていうのは羨ましいよな」
「悩む必要はないが、難易度は高いぞ」
「こっちは聞いても答えないくせに、下手なもんあげると嫌味言われるんだぜ」
「俺なんか完璧なもん作ったら逆に文句言われたぜ。自分より上手いのは癪に障るって」
「あー、言うよな、そういうこと。それでもまぁ、頑張って選んだりしちゃうんだよなぁ」
「そうだな。ま、お互い、頑張ろうぜ」
その会話のすべてが聞こえたわけではなかったが、土浦が誰かに手作りケーキを贈る、ということは俺にもわかってしまった。
土浦と俺は、恋人同士として付き合っている。だが俺は土浦にケーキを強請った記憶はなく、つまり俺の他に誰かそんな相手がいる、ということなのだろうか。
一体、誰に贈るというのだろう。頑張ってでもプレゼントを渡したい相手とは誰だろう。その誰かを想像すると、俺は急に気分が落ち込んだ。
確かに最初は仲が悪かったし、今でも音楽に対する意見がぶつかり合うこともある。それでも俺は土浦を好きだし、土浦も俺のことを好きなのだと思っていた。
だが、土浦には手作りのものを強請られ、それを贈る相手がいるということだ。
ちょうど大きな木を挟んで反対側を通り過ぎた土浦は、ここにいた俺には気付いていない。だからまさかその会話を聞かれたとは思ってもいないだろう。
土浦を問い詰めるべきか。それとも黙って聞かなかったことにするか。たぶん、その答えは既に出ている。
「君は、ケーキを作るのか?」
放課後、練習へと誘えば土浦は笑顔でそれに答えてくれた。
ピアノを弾く姿はいつもと全く変わりがない。俺にもなんでもなく見せてくれるようになった笑顔も不自然ではなく俺に向けられている。
だが、どうしても昼休みの会話が気になってしまう。真実を確かめないと、気分が落ち着かない。もしそれで聞きたくもない事実を知ってしまったとしたら、俺は…。
「なんだよ、急に」
突然の、何の脈絡もない俺の問に、土浦は本当に不思議そうな顔でそう返してきた。
「昼休みに、そんな会話を聞いてしまった」
正直に口にすれば、あぁ、と土浦は俺に笑顔を向けてきた。
「なんだ、月森もあのとき森の広場にいたのか。ケーキならそんなに頻繁じゃないがたまに作るぜ」
そして、その笑顔のまま答えが返してくる土浦に悪びれた様子はない。俺が聞いていたのだと知って、驚いた様子もまったくない。
つまり土浦にとって、俺などもうどうでもいい相手ということなのだろうか。
「なんだよ、どうしたんだ?」
その考えに気分が落ち込み、俯いた俺の視界に土浦の手が映る。それがそのまま俺へと伸ばされ、触れようとしているのだと気付いて、俺は先にその手を握り締めた。
「誰に、君は誰にそのケーキを贈るんだ? 俺以外の誰かに君の気持ちが向けられるのは許せない」
握り締めた手をそのまま引き、バランスを崩して倒れてきた土浦を抱き締めて、勢いのままにキスをした。
「んっ」
驚いたのであろう土浦は俺の身体を押し返すような抵抗を見せたものの、その手はすぐに俺の服を握り締めて縋るものへと変わった。
「土浦…」
何も考えられなくなるくらい深いキスをゆっくりと解けば土浦からは甘い声が上がり、俺はそんな土浦をぎゅっと腕の中に抱き締めた。
「話、聞いてたんじゃ、ないのかよ…」
胸元に埋められた土浦の口から、切れ切れで少しくぐもった声が聞こえ、俺はほんの少しだけ抱き締める腕の力を緩めた。
「俺がお前以外の誰かを想うなんて、そんなことあるわけないだろう」
俺の服を握り締めていた土浦の手が背中に回り、同じ強さで抱き締められる。
「それなら、ケーキは誰に…」
疑問と疑惑が拭えなくて確かめるように声を掛ければ、土浦はゆっくりと顔を上げて俺を真っ直ぐに見つめてきた。
「…姉貴だ」
短く簡潔なその返事に、あねき、と頭で繰り返し、そしてやっとそれがお姉さんなのだと理解した。
「一緒に話してたやつも同い年の姉貴がいて、誕生日のプレゼントはどうしてるって話になったんだ。俺はいつもケーキを作れって言われてるって返事して、お互い愚痴みたいなこと言い合って…。お前、最初から聞いてたわけじゃなかったんだな」
話の流れがわかり、俺は自分の早とちりだったのだとわかってほっとしたと同時に、土浦を疑ってしまったことを申し訳なく思った。
「すまない…。冷静な判断が出来なかった。君を疑いたかった訳ではないんだ」
ぎゅっと抱き締めれば、背中にあった土浦の手がコツリと軽く頭に触れる。
「疑われるようなことをした憶えはないし、これからもするつもりはないが、まさか月森に嫉妬されるとは思わなかった…」
そして小さな独り言のような言葉が聞こえ、背中に戻った腕で土浦からもぎゅっと抱き締められた。
「俺も自分の中にこんな感情があるのだと初めて知った。だが、土浦のことなのだから当たり前だ…」
だからもしこの先、本当に何かあったとしたら、俺は土浦に対して何をしてしまうかわからないだろう。
土浦のことだからこそ、冷静でなんていられなくなる。
絶対に離したくなくて抱き締める腕の力を更に込めると、その腕の中に隠すように土浦の顔が伏せられてしまう。
「さっきから、不意打ち過ぎだ…」
聞こえたその声はまるで文句のようで、何のことだろうと顔を覗き込もうとしたが、思いの外、抱き締める腕の力が強くてそれは叶わなかった。
「土浦?」
声を掛けても、首を振るだけで顔を上げてはくれない。だがその仕草がなんだか可愛くて、俺は唯一隠されていない耳元に唇を寄せてもう一度その名をささやいた。
「っ!…だ、だからっ」
やっと上がった土浦の顔は真っ赤に染まっている。その顔も叫ぶようなその声もどこか甘く、俺の心をあたたかくする。
「俺にも今度、ケーキを作ってくれ」
抱き締めてキスをして、俺はそんなわがままを口に出してみた。
2013.3
拍手第17段その5。
土浦に浮気の疑惑
誤解は恋愛に欠かせないスパイスですよね^^
浮気疑惑の相手を誰にしようか悩みましたが、
香穂子だとやけにリアルな感じになりそうだったのでお姉さんにしました。
後から読み返すと、タイトルからは少しずれてしまった気がします。
拍手第17段その5。
土浦に浮気の疑惑
誤解は恋愛に欠かせないスパイスですよね^^
浮気疑惑の相手を誰にしようか悩みましたが、
香穂子だとやけにリアルな感じになりそうだったのでお姉さんにしました。
後から読み返すと、タイトルからは少しずれてしまった気がします。