『音色のお茶会』
「綻び始めた蕾」
頑なだった俺の心が、最近、少し綻び始めている。「ここのところ、もう少し溜めてから次の小節に入ったほうが、曲が盛り上がるんじゃないか」
そんな土浦の提案に、俺はそれも悪くないと考えている。
『君は無駄な余韻を作り過ぎだ。逆に流れが悪くなる』
少し前までの俺ならばきっと、すぐにそう答えていただろう。だが今は、その提案を活かす方法をすでに頭の中で考えている。
「そうだな。だが、出だしのタイミングが少しでもずれれば大失敗になるだろうな」
提案に乗りつつもリスクを口にすれば、土浦は微かに眉根を寄せた。
「それなら、まずはとりあえず合わせてみようぜ」
二人の息が自然にぴったり合ったことは一度もない。どちらかが歩み寄ってやっとひとつの音が出来上がっているが、お互いが本当に納得する音色とタイミングになったことなどそれこそなかった。
だが俺は今、土浦が好むであろう間を思い浮かべながら弾こうとしていて、それは妥協でも譲歩でもない、自らの意思だった。
そして問題の箇所に差し掛かり、タイミングを間違えないようにと俺は鍵盤の上を滑る土浦の指へと視線を向けた。
と、同時に感じたのは、弓を持つ右手へと向けられた土浦からの視線だった。
余韻どころではない間が空いて、お互いの視線がお互いの手からお互いの顔へと動いていき、目が合った。
どうやら弾き始めるタイミングを、二人同時に待ってしまったらしい。
「なんだよ、いつもは勝手に弾き始めるくせに。本当に俺たちって間が悪いな」
そう言って笑う土浦の顔を、俺はじっと見つめてしまう。
お互いに合わせようとして、次の音を弾けなかった。お互いをこんなにも意識して弾いたのは、たぶん初めてだ。
合わせようと思っている。合わせようと、思ってくれている。
「君が俺に合わせてくれるなんて…」
言い掛けて、そこで言葉を止める。なんとなく、最後まで言ってしまってはいけないような気がした。
「それは…お互い様だろ」
ぶっきらぼうな言い方だったが土浦に怒った気配はなく、視線だけが微かに逸らされた。たぶん照れているのであろう表情を見せられて、俺も気恥ずかしい気分になった。
「もう一度、合わせてみよう。今度は君のタイミングで」
沈黙と、二人の間を流れる空気が妙に居心地が悪いような気がして、俺は下げていた弓をヴァイオリンの位置へと上げて音を出した。
勝手に弾き始めた俺のヴァイオリンに、それでも土浦のピアノが重なってくる。不思議なくらい、綺麗な音色が部屋の中に響き渡った。
お互いに合わせようなどと考えたことなどなかった音色が、今は少しでも近付こうと相手を意識して弾いている。その音に込めた感情を感じ取ろうと相手の音色に耳を澄まし、その指の動きに神経を注ぐ。
余韻の後に続いた音は驚くほど素晴らしいタイミングで、そして心に刻み込まれるような演奏になった。
「今の演奏はすごくよかった」
素直に感想を述べると、土浦は一瞬、驚いたような顔を見せ、そして嬉しそうに笑った。
「あぁ、俺もそう思った。月森のヴァイオリンって、意外にやわらかい音色だったんだな」
そう言われても俺にはあまり自覚がなかったが、土浦の音色を意識して弾いたことがその要因かもしれないと思った。出会ったばかりの頃、ずいぶんと身勝手な演奏だと言った土浦の言葉の意味を今、ようやくわかったような気がする。
「こんな風にさ、月森と演奏してるってのは不思議な感じなんだが、それよりも今は楽しいんだよな」
独り言のように、小さくつぶやいた土浦の言葉が耳に届く。聞き間違えかと聞き返そうとして、でも止めておく。
「俺も…」
小さくつぶやいて、その言葉に自分が恥ずかしくなって楽譜へと視線を逸らした。
頑なだった心が少しずつ綻んで開こうとしている。それが開ききったとき、俺たちの関係は一体どうなっているだろう。二人で弾く音色は、一体どんな風に変わっていくのだろうか。
「もう一度、合わせてみないか」
先のことはわからなかったが、今の俺たちが奏でられる音色を精一杯弾いてみたいと、そう思った。
2012.11
拍手第15段その5。
(お互いを認め合い始めた二人)
設定を自分で考えると結局ワンパターンになってしまうなぁと反省…。
そして認め合うというより意識し始めた感じなので更に反省…。
拍手第15段その5。
(お互いを認め合い始めた二人)
設定を自分で考えると結局ワンパターンになってしまうなぁと反省…。
そして認め合うというより意識し始めた感じなので更に反省…。