『音色のお茶会』
「ロビーで待ち合わせ」
どうしても一緒に聴きに行きたくて手に入れたコンサートのチケットを渡して土浦をデートに誘ったのは一週間前。そんな約束の日にどうしても外せない用事が入ってしまったのが昨日のことで、その用事が終わったのが今からちょうど一時間前だ。
用事が済んだことを電話で連絡すれば、じゃあ、会場のロビーで待ってる、という返事が返ってきた。
チケットはお互い持っているのだから席で座って待っていてくれても構わないと思う反面、例えそれがロビーだとしても、待ち合わせて一緒に行かれることを嬉しいと思う。
本当なら昼間のうちに待ち合わせをして一緒に会場へ来る予定だった。放課後の寄り道とは違う、少しゆっくりとした時間を土浦と過ごせなかったことがやはり少し悔しい。
そんなことを考えているうちに会場へと到着し、ロビーの中に土浦の姿を探した。
すでに開場時間を迎えているロビーにはそれなりの人が行き交っていて、煩いわけではないそのざわめきが不思議と耳に心地いい。そんなざわめきの中に混ざって聴こえてくるのはロビーに流れる音楽で、これもまた邪魔にならない程度の音量でちょうどいい。
耳に馴染みのあるその曲を聴きながら土浦を探せば、少し先の壁際にその姿を見つけた。
ものすごく目立つわけではない。だが、独特の存在感がなんとなく人目を引いている。
当の土浦といえばそんな視線には気付きもしないで、壁にもたれて目をつぶっている。その指は流れる曲を空で奏で、その表情はとても穏やかで楽しそうだ。
土浦は今、音楽の世界の中にいる。あの指は一体、どんな音色を奏でるのだろうか。
俺はそれを知っているはずなのに、もっともっと知りたいと思う。俺のヴァイオリンに重なる君のピアノの音色を、独り占めしたいと思ってしまう。音色だけではなく、土浦の全てを独り占めしたい…。
「土浦」
そう思ったときには、まだ少し距離があるというのに土浦に声を掛けていた。
「月森」
その指の動きを止め、つぶっていた目を開け、真っ直ぐに俺を見て笑いかけてくることを嬉しいと思う。壁から背を離し、わざわざ俺に向かって歩いてきてくれることを、本当に嬉しいと思う。
だが、土浦が作っていた音楽の世界を壊してしまったことを、それを壊してでも自分のほうに眼を向けさせたいと思ってしまった自分の心を、申し訳ないと思うと同時に少し怖いとさえ思った。
「すまない…」
思わず口に出た謝罪の言葉に、土浦は疑問にさえ思わず笑顔を返してくる。
「別に構わないって。気にするなよ」
土浦は、俺の心の奥底にあるこんな気持ちを知らない。だから今日の待ち合わせに対する謝罪としか受け取っていないのだろう。
そうではないのだと言葉にしかけて、だが土浦に嫌われることは避けたくて声にならずに痛みだけが残った。
「月森と待ち合わせてコンサートなんて、俺だけの特権だからな…」
俯きかけた俺の耳に、小さなつぶやきのような言葉が届く。
「ほら、行こうぜ。俺、買いたいCDがあってさ」
視線を戻したときにはもう、土浦は俺の一歩前を歩き始めていて、だが微かに赤く見えた顔は、その言葉が俺の聞き間違えではなかったことを語っていた。
土浦の言葉で、ほんの少し心が軽くなる。もし、俺と同じように土浦が俺に対して独占欲を持ってくれているのなら、それは嫌なことではなくむしろ嬉しいことだ。
同じならいい。好きだと思うこの気持ちが、俺も君も等しく同じであってほしい。同じだけ想い、同じだけ想われ、同じだけ一緒にいられればいい。
「今日のコンサート、誘ってくれてありがとな」
逸らし気味の視線で、それでも俺を振り返ってつぶやいたその言葉が本当に嬉しくて、俺は大きく一歩踏み出して、土浦の隣を並んで歩いた。
2012.10
拍手第15段その2。
(土浦と待ち合わせをした月森は…)
月森君を待っている土浦君の絵が頭の中にあり
それを書きたくてこんな話になりました。
拍手第15段その2。
(土浦と待ち合わせをした月森は…)
月森君を待っている土浦君の絵が頭の中にあり
それを書きたくてこんな話になりました。