『音色のお茶会』
「8時間の差」
日本にいる俺の時間は、ウィーンにいる月森よりも8時間早い。俺の起きる時間は月森が寝る時間で、俺の授業が終わる頃に月森は起き出し、俺が寝る時間に月森は夕方のレッスンを始める。
面白いくらいに空き時間が合わないのが、俺たちらしいというかなんというか。
だからこそ、時間に束縛されないメールのやり取りばかりが続いているわけだが、たまには電話でもしてみようかな、という気になるときがある。
最初の頃はいちいち時計を見て逆算していた時間も、今ではなんとなく感覚でわかるようになった。
感覚でわかってしまうほど月森と離れているんだと、そう気付いたらなんだか胸が痛くて苦笑いが漏れる。
「今は大丈夫な時間だよな…」
心の奥の奥にある気持ちに気が付かないふりをして独りごちながら発信ボタンを押すと、数コール目で機械音が途切れた。
『もしもし、土浦か』
電話越しのその声が、本当に耳元で囁かれたかのような錯覚に思わず肩が震えた。
「あぁ…、久し振りだな、元気か?」
それに気が付かれないように、当たり障りのない言葉を選ぶ。でも本当は、そんなことを言いたいんじゃない。
『ああ。君の声を聞いたら元気になった』
微笑んだのであろう気配が電話越しに伝わって、顔に熱が集まったことを自覚する。
『それより君は?こんな時間に連絡をしてくるなんて何かあったのか?そちらは真夜中だろう』
言われて時計に目をやるが、薄暗い部屋ではその針の位置を見ることができない。
こんな真っ暗な時間に電話をかけても平気なのは、8時間の差があるから。だから躊躇わず、この時間なのに俺は電話をかけたんだ。
「別に何も…ただなんとなく…」
なんとなく思い立っただけ…そんな言い訳を自分にする。それに何かがあったわけじゃない。
でも、本当に伝えたい言葉は、気付かないふりをした気持ちは、声に出すことができなくて。
『君の声が聞きたいと思っていたんだ。だからなんとなくでも嬉しい』
それなのに、お前は俺が言えない言葉をいとも簡単に言ってのける。
なんとなくなんて言い訳だ…。本当は逢いたくて、でもそれは無理だとわかっているからせめて声が聞きたかった。
だから、俺も本心を言おう。今は時間さえも違うほどに離れた場所にいるけれど、せめて心はいつでも傍にあるように。
「本当は俺も、月森の声を聞きたかったんだ」
2008.12.4
拍手第3段その3。
ただ声を聞きたいだけなのに
俺たちの時間はいつもずれてるんだ。
拍手第3段その3。
ただ声を聞きたいだけなのに
俺たちの時間はいつもずれてるんだ。