TeaParty ~紅茶のお茶会~

『音色のお茶会』

海に瞬く星2

 結局、寝たのは12時を過ぎていたが、ぐっすりと眠れたのかスッキリと目が覚めた。
 いつものように、でも少しいつもより気分良く朝の支度を始めた。
 俺は相変わらずあちこちでピアノを弾いていたが、最近は仕事の量が増えてきている。それは月森のリサイタルがきっかけで思った以上に世間の注目が俺へも集まってしまったからかもしれない。
 色々な意味で、月森蓮という知名度は高いのだと思い知らされるが、世界で活躍しているのだからそれは当たり前のことだった。
 それに負けないように、同じ舞台に立った者として恥ずかしくないように、そう思い今まで以上に音楽へと情熱を注いでいる。やれることは何でも挑戦している所為か、仕事の幅も広がったような気がする。
 未だに月森との差を引き合いに出されて辛い思いをすることもあるが、そんなことをいちいち気にしていても仕方ない。
 今の俺に出来ることを精一杯やりながら、俺は更に上を目指していこうと思う。

 予定通りならそろそろ飛行機の到着時間のはずだと思いながら家を出たが、その1時間後に月森から到着したとメールが入っていた。
 その時間はすでに仕事中で、俺がメールを確認したのはそれから更に3時間後のことだった。
 帰国が急に決まって連絡がギリギリになったことをすまないと詫び、月森の簡単な行動予定と、時間が出来たら電話を欲しいと、そんな文章が綴られていた。
 どうやら一人で帰ってきた訳ではないらしく、今日は観光案内だと、そんなことも書いてあった。
 月森には逢えないかもしれないと、そんな考えが浮かんで、ほんの少し気分が落ち込んでいくのがわかった。
 それも仕方ないと思いながら仕事の合間をみて電話をすると、すぐに今日の予定を聞かれて終わりの時間を告げれば、それなら君の家で待っている、と言われた。
 その一言で、落ち込んでいた気分が急浮上する。
 けれど連れが居るのだろうと心配すれば、それは大丈夫だと言われ、俺はものすごくほっとしている自分に気付いた。
 あまり長く電話をしている訳にもいかず、後は家に帰ってから話をしようと電話を切った。

 月森に逢えるとわかっていつも以上にやる気が出たのか、その後の仕事は順調に進んだ。
 今日の仕事はレコーディングだったがほとんど一発OKで、予定よりも早く終わらせることが出来た。
 いつも以上にいい演奏だったと言われ、何かいいことがあったのかなどと聞かれてしまったということは、音色に気持ちが乗り過ぎていたのかもしれない。
 君の弾き方は感情的過ぎると、そんな高校の頃の月森の声が聞こえたような気がした。あの頃はその言葉にむかつきもしたが、今なら月森が言いたかったこともちゃんとわかる。
 感情で伝えられる音色もあるしそれが大切なときもあるが、感情だけでは本当の音楽を伝えることは出来ない。
 ピアノを弾くたびに、その音色に対しての称賛や批判の言葉を聞くたびに、俺はそれを痛感する。そして月森の演奏を聞くたびに、俺はまだまだなんだと実感させられる。
 二人で共に奏でたあのときのように、俺もまた誰もを感動させられるような音色を奏でたいと思う。

 玄関のドアを開けるとそこには俺のものではない靴があり、それは月森の訪問を俺に実感させた。
 いつもは暗い家の中に、明かりが点いているというだけでどこかほっとする。
「ただいま」
 そう言いながらリビングへと向かったが、そこに月森はいなかった。けれど、月森がいた気配は置いてあるものに残っている。
 扉の開く音に反応しなかったということは練習室でも使っているのかもしれないと思いガラス越しに覗いてみれば、そこにヴァイオリンを弾く後ろ姿が見えた。
 聴こえるはずのない音色が、聴こえてくるような気がした。
 思わず、その姿に見惚れていたが、練習の邪魔はしたくなくて自室へと向かう。その演奏を聴きたかったが仕方ない。
 仕事が早く終わったことは連絡してあったが、きっとヴァイオリンに集中しているのだろう。弾き始めると音楽に集中してしまう気持ちは俺にもわかる。
 荷物を置き、着替えを済ませてリビングへ戻ってもまだ月森はいなかったが、もう一度ガラス越しに練習室を覗けば、ヴァイオリンは棚の上に置かれていた。そのヴァイオリンから月森へと視線を動かせば、少し難しい顔で楽譜を見ていた。
 ノックをしようと手を動かしかけたとき、その視界に俺が入ったらしく、その表情は驚いたものに変わった。
「土浦、すまない、帰ってきたことに気付かなかった」
 そのまま扉を開ければ、月森の表情は微笑んだ優しいものに変わる。
「いや、気にするな。ヴァイオリン、弾いていたんだろ」
 そう言い終わる頃には引き寄せられて、その腕の中へと抱き締められてしまう。
 程よく効いた空調の中、触れる月森の体温が心地いい。
「おかえり…」
 電話で話したときに、すでに告げていた言葉をもう一度口にする。例えまたすぐにウィーンへと戻ってしまうことはわかっていても、今はここに帰ってきてくれたことが嬉しい。
「ただいま。帰ってきても君の顔を見るまではなんだか落ち着かない」
 それは俺も同じで、声だけじゃなく、見るだけじゃなく、実際に触れて初めて月森が帰ってきたことを本当に感じることが出来た。
「だから、梁太郎に逢いたかった…」
 耳元でささやかれる月森の声がなんだかくすぐったい。
 月森に逢えないことなんか慣れていると思っていたはずなのに、こうやって久し振りに逢うと逢いたくて逢いたくて仕方なかったのだといつも気付かされる。
 こんな風に思うのは俺らしくないと思いながら、けれど月森を想う気持ちはどうしても止められない。
「俺も…」
 逢いたかった、という言葉は、触れてきた月森の唇に飲み込まれていった。