TeaParty ~紅茶のお茶会~

『音色のお茶会』

海に輝く月29

 俺はあまり聞き覚えがないはずなのに知っている電子音で目を覚ました。その音は出所を探し出す前に止み、代わりに聞き覚えのあるはずなのに理解できない声が聞こえてくる。
 あれ…、なんだっけ、これ…。
 俺はそれを知っているような気がして、まだ覚醒しきれていない頭で記憶を手繰り寄せた。そしてたぶん無意識に伸ばしたらしい手に何か温かいものが触れ、そのぬくもりに俺の意識は急浮上した。
 俺はこれも知っている。
(夢…?)
 言葉を発したつもりが、声は喉に詰まって音になることはなく、目を開けようと思うのに瞼が重くてなかなか上がらない。それでもすぐ傍でしゃべっている月森の声と、手のひらから伝わるぬくもりで俺の意識はだんだんとクリアになっていく。
 何とか瞼を上げれば、ちょうど電話を終えた月森と目が合った。
「おはよう。また起こしてしまったな」
 閉じた携帯電話が枕元に置かれるのを、俺は不思議に思って目で追っていた。それは知っていると思った状況とはどこか違っている。
 夢だったのか? 夢じゃなかったのか?
 寝起きの所為だろうか。何が現実なのかよくわからなくて、俺はもう一度月森へと視線を戻した。
「土浦?」
 そんな俺を、月森は不思議そうな顔で覗き込んでくる。そういえば何の返事もしていなかったのだと思い出して俺は口を開いた。
「おは、よう…」
 何とか声を出すことは出来たが、やけに掠れているし喉が痛い。
 その原因を思い返せば自然に苦笑いがこぼれ、自分の不調加減が一昨昨日の朝とは全然違っていることに苦笑いは更に増した。
 ただ状況が似ていただけで、これが夢の訳がない。
 それでもなんとなく今日の日付を確かめずにはいられなくて俺は壁に掛けたカレンダーに目を向けた。そういえば月森が帰国する前日にもこんな風にカレンダーを見たのだと思い出す。
 だがカレンダーを見たところで今日の日付を確認できる訳でもなく、視線を動かせばちょうど時計が目に入った。針は7時を少し過ぎたところを差していて、ここでもまた既視感に似たものを感じる。
 夢だった訳じゃ、ないよな…。
 月森が帰国してからの数日は色々なことがあり過ぎて、妙な既視感が続き過ぎて、これまでのことは全部、俺が見ていた長い夢なのではないかとさえ思えてきてしまう。
「どうした、そんな顔をして。何かあったのか?」
 真っ直ぐで、そしてどこか不安そうに俺を見つめてくる視線に、俺は一体どんな顔をしているのだろうかと思ったが、たいしたことではないのだと伝えたくて首を横に振った。
「いや、何でもない」
 そう言っても月森の表情はまだ心配そうで、俺はたかが日付ごときのことでうろたえていた自分が恥ずかしくなった。
「ただ、いや、あの…。今日って、何日だ?」
 言うまでは放してもらえなさそうな真っ直ぐな視線が気恥ずかしくて、誤魔化していると思われそうな、けれど俺にとっては重要な質問をしながら軽くそらした。
「え…? 今日は28日だが…」
 その日付を聞いて、やっぱり夢じゃなかったのだと俺は安心して表情を緩め、月森へと視線を戻した。そんな俺とは逆に、心配そうな表情に、腑に落ちない、という感情を混ぜて月森は見ていた。
「ちょっと色々あり過ぎて、もしかしたら夢なんじゃないかって思ってたんだ」
 ウィーンで演奏会をやるなんて、俺にとっては信じられないような話だったから。それもまた月森と一緒に演奏する機会が、こんなにも早く訪れるとは思ってもいなかったから。
「昨日までのことが信じられなくて、だから夢だったんじゃないかって、そんな風に考えた」
「夢などではない。現実だ。夢だなどと言って、逃げないでくれ…」
 月森は叫ぶようにそう言うと、まるで俺の言葉を遮るようにきつく抱き締めてきた。
「逃げてる訳じゃないんだ。言っただろ、もう逃げないって。夢だったら困るから、逆に、現実じゃなかったらどうしようって思ってたんだ」
 月森が俺を選んでくれたことを、心から嬉しいと思う。
「ウィーンでの演奏会、すごく楽しみだからさ…」
 月森と一緒に音楽を奏でることが出来ることを、本当に嬉しいと思う。
「疑ったりしてすまない…。俺も、演奏会を楽しみにしている」
 そして俺を抱き締めてくるこの腕を、心から本当に、愛しいと思う。