TeaParty ~紅茶のお茶会~

『音色のお茶会』

海に輝く月28 *

 握られていた手に力が込められたと思った瞬間、ぐっと引かれて俺は月森へと寄りかかるかのような体勢になった。
 月森が家に来るといった時点でなんとなくそんな予感はしていたが、それでも急なことに思わず身じろいでしまう。だがそんな俺の行動を封じるように月森の腕が俺の手を握ったまま背に回されて、俺の身体はあっという間に組み敷かれてしまった。
「つ、月森っ」
「なんだ」
 反射的に名前を呼べば、俺の顔を覗き込むようにしてそう聞いてくる。
 さっきまでの不安そうな表情はもうどこにもないが、いつになく真剣なその表情に心臓は早鐘を打ち始めた。
「いや…」
 ただ驚いて呼んでしまった名前に理由などなく、何だと聞かれても答えられない。そんなことなど始めから見抜いているらしい月森は、俺の目を真っ直ぐに見つめたままやけにゆっくりと近付いてくる。
 その視線が真っ直ぐ過ぎて、逆に俺の視線が定まらない。それならば受け入れてしまえばいいのだと思い、俺はゆっくりと目を閉じた。
 だが、唇が触れる寸でのところで月森の動きが止まる。
「嫌か?」
「っ、ぁ…」
 吐息が唇を掠め、触れることに期待して開きかけていた唇から声が漏れた。
「嫌か?」
 わかっているくせに、あくまでも俺に返事をさせようと同じ言葉を繰り返す月森はずるい。吐息が触れる距離だとわかっていて、わざとこんな風に聞いてくる月森はずるい。
「嫌、じゃない…」
 俺はほんの少し頭を浮かし、その唇に口付けた。

 人のことを煽ったわりに、月森からのキスはやけに穏やかだった。
 じわじわと上がる熱はどこかもどかしく、けれど強請るような言葉など言える訳がない。言葉の代わりに行動を起こしたくてもつかまれたままの手は後ろ手にされた状態のままで抱き締めることも引き寄せることも出来ず、俺は深く触れてこようとしない舌を追いかけるようにして絡ませた。
「君をゆっくり感じたい」
 それなのに月森はやんわりと唇を離し、耳元でそんな言葉をささやいてくる。
「っや、」
 そうやって、俺を煽るのはやめて欲しい。俺の理性を奪わないで欲しい。思わせぶりな態度で焦らさないで欲しい。
「梁太郎…」
 俺の名前を呼ぶ声はいつにも増して甘く、それにさえ煽られる。なのに触れる手は肌の上を掠めていくだけで、物足りなさに熱だけが上がっていく。
 ぐずぐずに溶かされているのに、溶けきってしまえないのは辛い。
 物足りなさに首を振れば、月森の手はやんわりと俺の頬に触れてくる。もっと触れて欲しくて、もっと月森を感じたくてその手に擦り寄れば、なだめるようなキスがいくつも落とされた。
 足りない。もっと、もっと、もっと…。
「蓮、れんっ」
 想いを名前に変える。願いを名前に込める。
 つかまれていた手がそっと離されて、俺は月森にしがみつくように腕を首に回した。
「蓮…、もっと…」
 月森のことしか考えられなくなってしまうのは、怖い。
 でも今は、月森のことしか考えたくない。

 いつまで経っても離れようとしない月森の手が、俺の髪を弄ぶように触れている。
 短い俺の髪は梳いても手に残る訳ではなく、だから何度も何度も繰り返すその指が髪だけではなく肌を掠めていく感触が心地よくて、俺は目をつぶってそれを感じていた。
 またしばらくこのぬくもりに触れられなくなるのだと思えば淋しいと思う気持ちを感じずにはいられず、少しでも多くを憶えておこうと俺も月森へと手を伸ばした。
「足りないのか」
 からかうような言葉の後、前髪を掻き揚げられて額に唇が触れる。
「かもな…」
 触れるだけで離れたそれを追ってキスをすれば、驚きに見開かれた瞳が俺を見つめていた。
 正直なところ、これ以上はもう無理だ。ゆっくりと言ったその言葉通りに触れてくる月森に散々焦らされ、無理だと言っても止めても許してももらえなかったその行為を足りないなんて全く思っていない。
 けれど、それでも、心の中にはどれだけ満たされても足りない何かがあって、俺は月森に手を伸ばさずにはいられない。
 行くなとか、離れたくないとか、そんなんじゃなく、ただ、今だけは少しでも傍にいたいと思う。
 もう少しだけ、月森を感じていたい。
「一緒に過ごす時間が増えれば増えるほど離れがたくなる。一緒に演奏すればするほど、君の音色を俺だけのものにしたくなる」
 月森の背に腕を回して引き寄せれば、髪を梳いていた月森の手も俺の背へと回って抱き締められた。
「君と過ごす時間はあっという間で、このまま時が止まってしまえばいいと本気で考えそうになる。だが、君とはもっと色々な時間を過ごしたいし、君と一緒に最上の音色を目指していきたい」
 引き寄せられて、抱き締められて、肌から伝わってくる月森の体温が心地いい。
 耳に響く月森の声が、その言葉が、俺の心を温かくする。
「それでもこの瞬間が永遠に続いて欲しいと思わずにはいられない。この腕に抱き締めて、俺以外何も考えられないようにしてしまいたい。こんな風に思うのは君が初めてだ」
 真っ直ぐに伝えられる独占欲を、俺は嬉しいと思う。そしてその独占欲は、月森だけが持っているものじゃない。
「俺も…」
 続く言葉の代わりに、俺はもう一度キスをした。



2010.9.12up