『音色のお茶会』
海に輝く月25
玄関で話し込んでいればその先にあるドアがひとつ開き、楽しげな音楽と話し声が聴こえてきた。いつまで経っても戻ってこない月森を心配したのだろう。月森の母親である美沙さんに声を掛けられ、俺は改めて月森邸へと上がった。
扉一枚向こうには、静かだった玄関や廊下とは真逆の華やかさが広がっていた。
場違いなんじゃないかと思わずにはいられないような顔ぶれに、俺は思わず足を止めてしまった。人が集まっていると言った月森の言葉にある程度の予想と覚悟はしていたが、思った以上の人数とその顔ぶれに怯まずにはいられなかった。俺にとっては初めて会う人がほとんどだったが、名前と顔は音楽関係者なら誰もが知っているような人たちばかりだ。
この全てが月森個人の交友関係ではないだろうが、住む世界が違うと思わざるを得ないのはこういった人脈の強さもそのひとつだ。そうしてまた月森との差を見せ付けられたのだと思いながら、俺はその輪の中へと踏み込んだ。
月森と共に突然現れた俺に、何人かの視線が向けられた。
挨拶をしながら話をしていれば、ほとんどの人がピアニストである土浦梁太郎のことを知っていて驚かされた。それも、ずっと以前から知っていたという人もそれなりにいて俺は更に驚いてしまった。
直接的な繋がりや対面するような機会に恵まれなかっただけで、俺の名前は俺が思っていた以上に周知されていたらしい。
だから言っただろうと、月森は驚く俺に呆れたような視線を向けてくる。知らなかったんだから仕方ないだろうとにらむような視線を送れば、また呆れたような視線を送り返された。
『君は自分の実力に無自覚過ぎるんだ』
その視線に、昨日言われた月森の言葉が重なる。
けれどまさか、こんな風に自分の名前が広まっていることなど考えもしなかった。俺の実力など月森に比べればまだまだで、だから知名度などそんなに高くないと、そう思っていた。
俺は、俺自身が気付かないうちにちゃんと月森へと近付いていたのかもしれない。けれど俺は全く自覚をしていなかった。並びたい、いつか追い越すという目的は、いつの間にかその背中を追い掛けることことに摩り替わり、まだまだだと思い込んでいたのかもしれない。
無自覚過ぎると言った月森の言葉は本当にその通りだったのだと、俺はやっとそれを認めることが出来たらしい。
そうなればウィーンでの演奏会をやりたいと思う気持ちに拍車がかかる。俺の実力が海外でどれだけ認められるかを楽しみだと思う。ほんの少し前まで分不相応だと思っていたことなど忘れ、俺の中には不安よりも期待感でいっぱいになる。
ちょうどそのタイミングで俺は先生に声を掛けられ、俺はここに来た本来の目的を思い出した。
俺はこの前の返事をするために来たのだ。
そう思って隣にいる月森を見れば、同じタイミングでこちらを見た月森と目が合った。
急な来訪の理由を尋ねられ、俺は返事をするべく小さく深呼吸をする。
先日の返事をしに来ましたと答えれば、まだイエスの返事をした訳でもないのに先生の表情は俺たちの演奏を称賛してくれたときと同じ、嬉しそうな表情へと変わった。