『音色のお茶会』
海に輝く月22
『土浦…』心のままにこの想いを伝えると、月森から名前を呼ぶだけの短い返事が返ってきた。たったそれだけだったが、そこには月森の気持ちがすべて詰まっているように思えた。
『君がこの話を受けてくれたことはとても嬉しい。だが君はそれで…、いや…』
けれど何かを考えるように、月森の言葉が止まる。
『君はまた受けなくてもいい批判を受けることになるのだろうか、そんな思いをさせてまで俺と共演することに価値があるのだろうかと、今日はずっとそんなことを考えていた』
電話越しだから月森の顔は見えなかったが、その表情が痛みに耐えるように歪められたであろうことは想像出来た。
月森が何を考えて言葉を濁したのか察して、俺の弱さが月森に余計なことを考えさせてしまったのだと後悔する。
『それでも俺は、やっぱりウィーンでも君と一緒に演奏したいと思う気持ちのほうが強いんだ。俺は…』
「月森っ」
『君の気持ちを考えてやれていない…』
俺は月森の言葉を遮るように名前を呼んだが止められず、最後まで言わせてしまった。
目の前にいれば止められただろうと思えば、電話越しだということがものすごくもどかしい。だからこそ、俺は自分の気持ちをきちんと言葉にして月森に伝えようと思った。
「そんなことない。俺は勝手に弱気になって悩んでいただけだ。確かに俺と月森の音楽に対する考え方の違いをわかってもらえないことや、比べて批判されることはやっぱり悔しいと思う」
俺は自分のことばかりを考えて、月森の気持ちを勝手に誤解して、逃げ道ばかりを探していた。
「でも俺は自分のやり方を変えるつもりはないし、月森にだって変えて欲しいなんて思わない。考えてみれば高校のときからずっと俺たちは正反対で比べられてきたんだ。今更、悩むことでもなかったんだよな…」
比べられることの全てが不満な訳でも悔しい訳でもない。俺たちは違うからこそいがみ合って、違うからこそお互いを理解しようと歩み寄ることも出来た。
「それに月森と比べられるってことは、俺が比べるに値するからだと、俺はそう考えることにしたんだ」
それはただの自惚れなのかもしれない。そんなに生易しい世界じゃないことだってわかっている。だが、何をするにしたって乗り越えなければいけないものはたくさんあって、こんなちっぽけなことをいちいち気にしていたらやっていくことなど出来ないだろう。
悔しいと思う気持ちが強過ぎて、楽なほうへと逃げてばかりで、気持ちが負けていた自分が情けない。
「一緒に弾くことに、価値も何も関係ないだろう。俺だって、月森と一緒に音楽を作り上げていきたいんだ」
価値、なんて言われたら、それこそ俺と共演することにどれだけの価値があるのだと言いたくなる。けれどもう、そんなことは考えたってしょうがない。
月森と一緒に弾けるだけで、俺は本当に幸せだと思えるのなら、それが全てなのではないだろうか。
2010.5.12up