『音色のお茶会』
海に輝く月20
家に帰ると、加地から大量のファックスが届いていた。画面ではなく手に取って見て欲しかったのだと、そんな言葉が書かれた手紙の後にアンケート用紙が何枚も続いている。選び抜いたと書かれていたが、それでも結構な枚数だ。
アンケートの一枚目に目を通せば、加地の言った通りコンサートを聴きにきたきっかっけに月森の名前が書かれていた。それだけを見れば月森の知名度に便乗したとも考えられて少し申し訳なくも思ってしまう。
俺は何枚もあるその紙に書かれた言葉をなんとなく目で追っていたが次第に引き込まれ、まるで一語一句を逃すまいとするように読み耽っていた。
楽しかった、という感想がとても多く、また聴きたいと思ったという言葉が続く。そして、俺のピアノに対する感想がいくつも綴られていてとても嬉しかった。
もちろんそれは俺たち全員の演奏に対しての感想でもあるし、たくさんある感想の中の一部なのだということはわかっているが、それでもこれだけたくさんの言葉を書いて貰えたことは本当に幸せだと思う。
加地の言ったとおり、来場のきっかけはどうあれ、その人が俺たちの演奏を聴きにきてくれたことに変わりはない。更に俺たちの演奏を気に入って貰えたのなら、そのきっかけに感謝しなくてはいけない。
そして最後の一枚になり、そこに書かれた言葉を読んでハッとした。
『音楽は先入観で聴いてはいけないものなのですね。このコンサートを聴いて、私はずっと、そんな風にして聴いてきたのだと少し恥ずかしくなりました。そして音楽は感じるものなのだと、そう気付かせてくれた演奏者の方々に、心からありがとうございます、と伝えたい気持ちでいっぱいです』
その言葉はやけに心に残り、俺は何度も何度も読み返した。
先入観に捉われていたのは俺も同じだ。そんな風に聴いて欲しくない、見て欲しくない、比べて欲しくないと言っておきながら、俺は誰よりも強い先入観で月森と自分自身を判断し比べていた。
月森はすごい。それは事実だが、すごいから俺には追い着けない、差があり過ぎる、相応しくないと、そんな風に思うことは俺の先入観なのかもしれない。
『もしかして土浦、月森との差を気にしてる…? 僕に言わせれば、月森も土浦も、同じ位置に立っているように思えるよ』
加地に言われた言葉を思い出す。
月森との間に差を作っているのは世間なんかじゃない。俺自身なんだ。
「何やってんだ、俺…」
昨日から本当に、俺は色々なことに気付かされる。自分の弱さに直面させられる。
月森も加地も、こうやって感想を書いてくれた人たちも、ちゃんと俺を見ていてくれている。けれど俺自身が俺を見ていない。目を逸らしてばかりで、いつだって一番大切なものを見ようとしていない。
どんな言葉だって、俺がどう受け止めるかでその意味合いは変わってしまう。それに、誰に言われたからとか、何を言われたからなんて関係ない。俺がどう向き合って、どう考えるかだ。
自分自身を信じるための揺るぎない何かなんて、そんなものありはしない。おまけに誰かに与えてもらおうなんてそんなの大きな間違えだ。
自分が自分を信じないで、一体誰に俺を信じて貰おうというのだろう。一体誰に、俺の音楽を認めてもらえるというのだろうか。
2010.3.7up