TeaParty ~紅茶のお茶会~

『音色のお茶会』

海に輝く月18

 次の日はお互い別々に過ごした。月森にも俺にもそれぞれ予定があるのだから仕方ない。
 けれど月森と話をしたことで、俺の心は少し軽くなっていた。自分にはやれないなどと悪いほうにばかり考えていたが、今の俺がやるべきことは何かを考えるようになった。
 やりたいと思うなら、立ち止まってはいられない。
 世間の評価は急には変えられないが、俺自身が変わることは出来る。俺が弱気でいたら、いつまで経っても俺は認められる存在にはなれないだろう。
 だから、不必要に世間の目を気にすることは止めた。どこで弾こうが誰の前で弾こうがそれが俺の音楽だ。
 立つ舞台が大きくても小さくても、聴いてくれる人が多くても少なくても、そこで音楽を奏でることに何も差なんてない。それが俺の音楽であり、コンクールとは違う経歴だ。
 その実力を受賞歴でしか判断出来ない人がいることもわかっている。そういった人たちは俺がどんなに頑張ったとしても俺のやり方を認めはしないだろう。けれど、みんながみんなそんな考えではないし、その考えを変えることだって出来るはずだ。
 俺だって自分にはそのやり方が向いていないと思うだけで、別に昔みたいにコンクールを毛嫌いしている訳じゃない。コンクールに挑戦することやその受賞歴で活躍する人たちはやっぱりすごいと思う。
 月森だってコンクールでの受賞を重ねてその地位を確立させている。以前はそれが当たり前なのだと思って見ていたこともあったし、それを難なくこなしていく月森に対して妙な反発心もあった。だが、必要以上に掛けられたプレッシャーとそれに打ち勝つための努力を知ったとき、俺は月森の表面しか見ないで判断していたのだと後悔した。
 そうやって努力していた月森からすれば、高校時代の俺はピアノを弾けるが音楽科に進んだ訳でもなく、音楽に対して中途半端に接しているように見えたと思う。
 自分の考えだけで相手を否定していたから、お互い理解することが出来なかった。
 そんな俺たちは相手を深く知り、そして音楽に対する考え方も接し方もひとつではないのだと知って初めて理解し合うことが出来た。
 そう考えれば、俺が世間からどう思われても仕方ないことなのだと思う。一般的に世間が俺を判断するために必要な、最もわかりやすい材料が足りないのだから当たり前だ。
 やり方は違うが同じ音楽を目指しているのだと、すべての人にそう理解してもらえることは難しいのだと思う。
 それでもやっぱり俺は、俺なりのやり方で音楽を伝えていきたいと思う。



2010.2.8up