TeaParty ~紅茶のお茶会~

『音色のお茶会』

海に輝く月17

 シャワーを浴びて部屋に戻れば、程よく冷えた空気が気持ちいい。
 そんな部屋の中で月森は立ったまま雑誌を見ていた。その表情がやけに真剣で、何を見ているのだろうかと近付きかけ、月森が見ているページが目に入って俺は思わずその場で動きを止めた。
 月森が読んでいたのは1ヶ月ほど前に発売された音楽雑誌だった。そういえば机の上に置きっぱなしだったのだと思い出し、なんとなく月森には見られたくなかったと、片付けておかなかったことを後悔した。
 その雑誌の音楽評論のようなページに月森と俺のことが載っていた。といってもほとんどが月森についての記事だったが、月森の経歴と比べるようにして俺のことに触れ、月森のリサイタルでの伴奏者には大きな受賞歴のない俺では役不足だったと、そんな意味合いが込められた文章が綴られていた。
 リサイタルが始まる前はそれこそこんな内容の記事はいくつもあって、そんなことは人に指摘されるまでもなくわかっていたことだったし、伴奏を引き受けた時点でそう言われることは覚悟していた。けれどリサイタルが終わっても、その演奏の出来ではなく経歴で批判されることはなくならない。
 経歴不足だと言われればそれは事実だが、そこだけで判断されているのは少し辛い。演奏の良し悪しには全く触れず、ただ経歴不足だと書かれる。それならいっそのこと、演奏が下手だと言われたほうがまだマシだ。
「君が自分の演奏に自信が持てないのは、こんなくだらない記事の所為なのか」
 振り返った月森は、怒っているような、悲しんでいるような、そんな表情をしていた。
「君の実力を正当に評価しない者の言葉を、君は信じているのか」
 そしてその言葉にも、怒りと悲しみが混ざっている。
「君が俺と同じようにコンクールにいくつも出ていればいいのか。コンクールで優勝していればいいのか。でもそれは君が伝えようとしている音楽ではない。そんなこともわからない者の言葉に、君が傷付けられるのは許せない」
 月森の手の中にある雑誌がグシャリと音を立てる。その強さがそのまま月森の気持ちの強さなのだと思った。まるで自分のことのように思ってくれているのが嬉しい。
「こんな内容の記事が書かれる度に、俺は俺のやりかたで月森に追い着こうと思った。けど同時に、俺には無理なんじゃないかとも思った。そうやって俺は、月森を理由にして色々なことから逃げてたんだ」
 だから俺はウィーンでの演奏会をやれないと思ってしまった。
「でもさ、それじゃいけないんだって、俺に思い出させてくれたのも月森だ」
 自分の弱さを人の所為にしていた自分が情けない。逃げてばかりいる自分が、それを自覚していない自分が本当に情けない。
「だが俺は、自分の気持ちを押しつけているばかりで、君の気持ちに気付いてやれていない。俺と一緒に演奏することで、君がこの記事のような扱いを受けるなど、考えもしなかった」
 そう言った月森の視線は、握り締められた雑誌へと落とされていく。
「俺はまだ、世間の目ってものに慣れてないだけだ」
 考えもしなかったのは月森らしいと思う。けれどそれは月森が俺を同等に見てくれているということでもある。
 そして俺は、言葉にした通り世間の目に慣れていないのだろう。いや、慣れていないと言うよりは、気にし過ぎるのかもしれない。好く思われている言葉よりも、悪く思われている言葉のほうが心に残ってしまう。
 言いたいように言わせておけばいいと、いつかその言葉を見返してみせると、そんな気持ちで頑張っているが、その成果が上がらなくて焦ってしまう。
 そして俺自身が月森と同等とは思えないでいるから、どんなに頑張っても月森を遠く感じてしまう。
「土浦…」
 何かを言いたそうに月森の視線が上がったが名前以上の言葉はなく、曖昧な表情を向けられただけだった。
「月森の言葉だけを信じていれば、いいんだけどな」
 それが俺の中の揺るぎない自信になれば、こんな記事などまったく気にならなくなるだろう。でも俺はまだ、月森を追い掛けるべき遠い存在だとしか思えない。
 俺は、いつになったら月森の隣に立っているのだと実感出来るだろうか。