『音色のお茶会』
海に輝く月12
最後に弾いた音は静かに消えていき、部屋の中は静寂に包まれる。弾き終われば後悔ばかりが溢れてきたが、今更どうすることも出来ない。
月森へと連絡を入れることは今すぐにでも出来ることだったが、俺はもう少し冷静に考える時間を取ろうと思った。
気持ちの整理がまだうまくついていない今、月森と話すことが得策とは思えなかった。
音楽に対して妥協を許さない月森が、中途半端な俺の気持ちに腹を立てたのはよくわかる。だから俺は、月森にきちんと説明出来るようなしっかりとした考えを持たなくてはいけないのだと思った。
きちんとした理由を並べた訳でもなく、ただ無理だと言った俺の答え方は逃げでしかなかった。そして無理だと口に出しながら、それでも諦め切れない思いが俺の答えを更に曖昧にさせた。
否定も出来ず、だからといって肯定も出来ず、俺は自分のピアノさえも弾けなくなるほどに逃げ腰になっていた。
どうして俺はいつも、肝心なところで逃げを打ってしまうのだろう。逃げたところでどうしようもないことはもうとっくに経験済みのはずなのに、俺は同じ過ちを何度も何度も繰り返す。
それさえも、俺はわかっていたはずだ。
「どうして俺は…」
問いかけても誰も答えてくれはしない言葉が、無意識に零れ落ちる。
『どうして君は…っ』
その言葉に、同じ問いを投げかけてきた月森の声が重なる。
月森は、何に対してそう言ったのだろうか。そこに続くはずの言葉は、なんだったのだろうか。
『それは、昨日の話に対する答えだと受け取っていいのか』
けれど続いた言葉は違う問いだった。静かな、けれどそこに怒りにも似た感情が含まれていたように思えて、今更ながらにゾッとする。
『君と一緒に舞台に立てるのは嬉しいし楽しみだ。だが、今の君ではそう思えない』
そして更に続いた言葉を思い出し、俺をまた辛くさせた。
けれど、そう言わせてしまったのが自分なのだということも俺はわかっている。
心ここにあらずの状態で一緒に弾かれても、月森は嬉しくも楽しくもなんともなかっただろう。
俺だってもし、月森がそんな弾き方をしてきたら驚くし、心配もする。その理由によっては怒りたくもなるだろう。
だから、何を考えていたのかと最初に聞かれた時点で俺の心境を察していたのであろう月森が、冷たい言葉を発してきたのは当たり前のことだった。
自業自得だったのだと、わかっていても辛い。それが月森からの言葉だから、余計に辛い。
「月森…」
無意識にその名前が口を付いて出てしまったが、それが俺の甘えなのだと思い知らされたような気がして急いで口を塞いだ。
けれど出てしまった言葉はなかったことには出来ず、自分で自分に嫌気がさした。
こんな状況になってもまだ、俺は答えを出せないでいる。持つべき自分の答えが、自分でわからなくなっている。
ぐだぐだと考えている間にも時間は過ぎていき、そして月森はまたウィーンへと行ってしまう。
そして俺はまだ、月森に何も話せていないことに気付く。
答えを出すことばかりに気をとられ、俺は自分の気持ちを何一つ、月森に伝えていなかった。
無理だと思う気持ちも、それでもやりたいと思う気持ちがあることも、だからこそ答えが出せなくて、月森がどう思っているか気になったのに、それを月森に話そうともせず、俺はやっぱり無理なんだと勝手に決め付けてしまった。
逃げてしまったら、たったひとつの答えにしか辿り着かないことを、俺はわかっていなかった。
「ここで立ち止まってどうするんだ、俺はっ」
俺は答えを出すことよりも前に、自分の気持ちを月森に伝えるべきだったのかもしれない。そうすればまだ、答えはいくつも残されていたはずだ。
その結果、月森から何を言われたとしても、俺は逃げずにきちんと向き合わなくてはいけなかった。
月森と話して何か言われるより、何も言わずに月森と離れることの方が何倍も辛いことなのだと、俺は今になってやっと気付いた。
このまま月森と話さずにまた逢えない日々へと戻ったら、俺はきっと今よりもっとダメになってしまうだろう。
2009.12.8up