TeaParty ~紅茶のお茶会~

『音色のお茶会』

海に輝く月8

 加地と別れ、俺はまた一人で考えていた。
 ウィーンでの演奏会など、俺にとっては夢のような話だ。やりたいかと聞かれれば、それはもちろんやりたいと思う。
 けれど俺にはまだ早いような気もするし、現実には無理だろうと思ってしまう気持ちのほうが強い。
 それに、俺一人が答えを出せば済む問題ではないこともわかっていた。
 俺が無理だと答えたら、逆に俺がやりたいと答えたら、月森はどう思うだろうか。それを知りたいと思うが、知りたくないという気持ちも心のどこかにある。
 そもそも、月森の中に俺という選択肢はあるのだろうか。そう考えると、簡単に答えを出すことが更に出来なくなる。
 もしも月森の選択肢に俺が入っていないのなら、月森の意思ではないところで俺を選ぶようなことはして欲しくない。それが最高の音楽を求める月森の意思ならば、俺を選ばないその選択は間違っていないと納得出来る。
 だから月森の答えを聞く前に、俺の答えを口に出すことはしたくない。
 いや、違う。確かにそう思う気持ちもあるが、それは本心じゃない。そんなのはきれいごとを並べただけだ。
 俺は月森の選択肢に俺が入っていないと言われることが怖いんだ。その差を月森から突きつけられるのが、怖くてたまらないんだ。
 月森との差など自分でよくわかっている。その差を世間がどう思っているのかも、嫌というほど感じてきた。
 月森のリサイタルで伴奏することを決めるまで、俺はその世間の目を気にしていた。それを糧に出来るようになった今、今度は月森の目を気にしている。
 あのときはそんな悩みよりもやりたいと思う気持ちのほうが強かった。更に上を目指そうと前向きだった。そして月森に選ばれたのだという自信も俺を後押ししてくれた。
 けれど今は消極的な気持ちのほうが強い。何も言われていないのに、月森の言葉が怖い。
 でも月森から向けられた表情は、俺を選ぶつもりはないと言っていたのではないだろうか。あの表情こそ、月森の気持ちそのままだったのではないだろうか。
 違うと思いたい。違うのだと信じたい。
 けれど、どうしてだろうか。どこか諦めに似た答えしか浮かんでこない。

 結局、何も解決しないまま朝は訪れ、俺はいつもと変わらない日常へと戻っていった。
 仕事中はその演奏に影響しないように、演奏会のことも月森のことも頭の中から追い出して考えないようにしていた。意識をピアノへと集中させれば迷いなどどこにもなく、俺はいつも通りの音色を奏でることが出来た。
 そうやって意識を別なことにすり替えて1日を過ごせば、月森の帰国も演奏会の話も夢だったのではないかと俺に思わせた。あり得もしない夢をみて、悩んだ気になっているだけではないのだろうか。
 けれど家に帰れば、置きっぱなしの月森の荷物がそこにある。俺はただ単に目の前にある問題から目をそらしているだけだ。
 あの場で別れてから、月森には連絡を取っていない。月森からの連絡もない。
 俺の答えはまだ出ていなかったし、月森から向けられたあの表情の意味もわからない。それでも、いや、それだからこそ話をしなければと思うのに、俺は月森と話すことを躊躇っている。
 滞在期間は5日だと聞いているから、明後日にはまたウィーンへと行ってしまう。別にそれからでも月森と話が出来ない訳でもないが、電話やメールなどではなく、面と向かって話が出来るのは今しかない。
 けれど、何をどう話していいのかわからない。
 無理だと言ってしまえばいいのか。そうすれば気は楽になるだろうが、きっと後悔が残る。
 それならばやりたいと言えばいいのか。でもそんな簡単なものではないだろうし、そう言い切る自信が今の俺にはない。
 その答えを決めかねて、わからないと踏みとどまり、月森の言葉が怖くて耳を塞ぐ。現実から目をそらして逃げようとしている。
 俺は月森との差を言い訳にして、またつまらない意地を張っている。
『やる前に諦めるのは好きなものに対して失礼だと思わない?』
 思い出す昨日の加地の言葉が心に痛いのは、それが図星だからだ。
 俺はまた同じ過ちを繰り返して、後悔するのだろうか。



2009.10.27up