『音色のお茶会』
海に輝く月1
「君にとって最高の誕生日になることを…」月森の言葉が、まだ耳に残っている。
月森の突然過ぎる帰国から一夜が明け、俺は聞き覚えのない電子音で目を覚ました。
目覚まし時計でも電話でもない。でも、全く聞いたことがない訳でもない。
「携帯…?」
まだ覚醒しきっていない頭が、それでもその音の正体を探り出す。でも、俺の設定している着信音とは違うものだ。
「すまない、俺のだ」
頭上から月森の声が聞こえ、心地いいぬくもりが離れていく気配に俺は思わず腕を伸ばしていた。
その手に何か温かいものが触れ、名残惜しげに離れていくと、しばらくして電子音が止まった。そしてその代わりに、これまたあまり聞き慣れない言葉が微かに聞こえてきた。
いくつか聞き取れる単語が耳に入り、それがドイツ語なのだとわかった。ドイツ語は大学である程度勉強したが、その全てを理解出来るまでには至っていない。
月森が部屋から出て行った気配を感じ、もう一度眠りに落ちかけたところで目覚ましをセットせずに寝てしまったことを思い出した。カーテンの隙間から入ってくる陽射しはすでに明るい。
はっとして時計へと目を向ければ、時刻はまだ7時を過ぎたところだった。
この明るさからすると今日も暑くなりそうだと思い、けれどまとわりつくような独特の暑さは感じられず、逆に肌寒ささえ感じて布団を引き寄せてしまった。
微かに聞こえるモーター音と冷たい空気の原因を探るために寝返りを打てば、エアコンには稼働中のランプが点いていた。寝る前に消したはずだから、たぶん先に起きた月森が冷房を入れたのだろう。俺はその気配にまったく気付かず寝ていたらしい。
そして今まで寒さを感じていなかったのは何故かと考えて、去っていったぬくもりを思い出した。
そのぬくもりは、抱き込んでいた月森の体温だ。
暑くも寒くもなく眠っていられたのは、この冷房と月森のぬくもりだったのだと思うとなんだか気恥ずかしい。そしてさっき月森が離れたときに思わず手を伸ばしてしまったことを思い出し、顔に熱が集まってきたのを感じた。
俺は、そのぬくもりが離れてしまうことを淋しいと思ってしまった。
ぶんぶんと頭を振って顔の熱を散らし、勢いよく起き上がってカーテンを思いっ切り開ける。
そこには思わず目をつぶってしまうほどにまぶしい太陽と、夏を思わせる真っ青な空が広がっていた。
その空を見ながらひとつ大きな伸びをしたところで、電話を終わらせたらしい月森が部屋へと戻ってきた。
「おはよう。起こしてしまったか」
こちらへと歩いてくる月森の表情は少し不機嫌そうで、どちらかといえば月森のほうが眠りを妨げられた感じだった。
一人で過ごす時間には慣れているが、やっぱりこうやって誰かと会話を交わせる朝というのは嬉しい。その相手が月森なら尚更だ。
「いや、いつもこのくらいには起きてるしな」
気恥ずかしさは何とか隠し、俺は月森に笑いかけた。
自然に目が覚めた訳ではなかったが、だからといって無理やり起こされたときのような眠気は残っていなかった。
もう一度窓へと向き直り、その窓越しに差し込む光を浴びながら、今日も響き渡るのであろう音色を思ってゆっくりと目を閉じた。
「そうか…」
そんなつぶやくような月森の声が聞こえたと思ったら、急に背中から抱き締められて俺は驚いてしまう。
「おいっ」
緩やかに回された手に引き寄せられ、背中越しに月森の体温が伝わる。
「俺は、もう少し君を感じていたかった」
どこか熱を帯びたような月森の言葉に、俺は体温が上昇したように思った。
「もっと、君に触れていたい…」
首筋を吐息が掠め、回された手がゆっくりと肌の上を滑る感覚に、身体はぴくりと反応を返してしまう。
「やめっ」
言い掛けた言葉は、強引に振り向かされて奪われたキスによっていとも簡単に封じられてしまう。
ダメだと、そう頭では思っているのに、朝にしては濃厚過ぎるキスにその思考すらも流されそうになってしまう。
「ぅ、っん」
角度を変える度に漏れ聞こえる自分の声が嫌で、つぶっていた目を更にぎゅっとつぶる。
月森の手は容赦なく俺の弱いところを狙ったように動き回り、俺は膝に力が入らなくなって、立っているのもままならなくなっていた。
思わず月森へと腕を伸ばせば、その腕を引かれてベッドへと押し倒された。
「梁太郎…」
俺を呼ぶその声が、妙に低い。
真っ直ぐに向けられた視線が、痛いほどに俺を見つめてくる。
「もっと、君が欲しい…」
ストレートな物言いが、俺の理性を壊していく。
それでも何か言わなくてはと開いた口から、意味のある言葉を発することは出来なかった。