TeaParty ~紅茶のお茶会~

『音色のお茶会』

海に浮かぶ雲38

 開演は夕方でそれまではまだ時間があったが、場内は準備で慌しく動いていた。
 たくさんの人が行き交い、続々と届く花でロビーは華やかになっていく。
 最終打合せまで少し時間があり、俺はリハーサル前にピアノの音を確かめておきたくて舞台へと向かった。
 邪魔にならない程度に装飾された舞台の上に、グランドピアノが置かれている。それを舞台袖から見ただけで程よい緊張感と高揚感に胸が高鳴る。
 思わずそのまま見入ってしまっていたが、何をしに来たか思い出してピアノへと歩を進めた。
 試しに一音だけ鳴らすと、綺麗な余韻が耳に戻ってくる。その音と響きは文句のつけようがない。
 指慣らしも兼ねて軽く弾くと、その音はホール中に響き渡った。
「土浦、そろそろ時間だ」
 弾き終わってもまだ余韻が残っているような気がしてしばらくそのまま鍵盤を眺めていると、コツコツという足音ともに背後から声を掛けられた。
「あ、あぁ。もうそんな時間か」
 時計へと目を向ければ、思った以上に時間が経っていたらしい。
「袖から聴いていてもいい音だな」
 急ぎ足で月森の元へ行くと、小さく微笑んだ表情を向けられた。
「ヴァイオリンが重なるとどんな音になるんだろうな」
「本番が楽しみだ」
 そんな会話を交わしながら、俺たちは打合せのために一度、舞台を後にした。


 打合せもリハーサルも終わり、予定されていた取材を受けると後は本番を待つばかりになった。
 衣装にも着替え、全ての支度が整ってしまうと特にやることはなく、でもなんとなく落ち着かなくて楽譜へと手を伸ばした。
 どの曲も楽譜は頭に入っていたが、その音符を目で追っているだけで不思議と落ち着いていくような気がした。
 意識が楽譜へと没頭し始めた頃、ドアをノックする音が聞こえて扉が開いた。
「支度は出来たか?」
 その声に顔を上げると、ヴァイオリンを持った月森が部屋へと入ってきた。
「あぁ。なんか落ち着かなくて楽譜を見ていた」
 手にした楽譜をひらひらと振りながらそう返事をすると、その言葉をどう受け取ったのかほんの少し目が伏せられた。
「本番前に、邪魔をしただろうか?」
 そしてそんな風に聞いてくる月森は、なんだからしくない。
「違うって、ただ見ていただけだ。それよりどうしたんだ?」
 隣の椅子を勧めながらそう言うと、月森は立ち止まりかけていた歩を進めてその椅子へと腰を下ろした。その顔を見遣れば、小さなため息と少しほっとしたような表情がこぼれた。
「取材が思ったよりも多くて疲れた」
 いかにも嫌そうだという表情でもれた言葉に、俺は確かに、と思った。
 俺は月森と一緒に受けた取材の一件だけだったが、それでも慣れないのと言葉を選ぶのにだいぶ苦労した。月森は他の取材もあったみたいだし、何より取材嫌いなのだから余計だろう。
「まぁ、月森の初リサイタルだからな…」
 世間が黙っている訳がない、というのが実情だろう。
 そんな俺の言葉に、月森はあからさまに嫌な顔をする。仕方ないだろう、と言って苦笑いを向ければ、諦めたようにもう一度ため息を落とした。
「人事だと思っているのだろうが、リサイタルの後には君への取材もたくさん入っているのだろう。仕方ない、などときっと言えなくなる」
 どこか自信ありげにそう言われ、そして取材が入っているのも事実だったから、今度は俺が言葉を詰まらせる番だった。
 まるでにらみ合うかのような視線がぶつかり、でも次の瞬間、何で今こんなことで言い合っているんだろうと思ってお互い笑みがこぼれた。
「なんだか懐かしいな、このやり取り」
 初めて逢った頃はよくにらみ合ったし言い合った。意見が合わなくて、その実力を認められなくて、だから負けたくなくなかった。
 今でも負けたくないという気持ちはあるが、それはあの頃の思いと少し違う。実力ではなく、音楽に対する姿勢で負けたくないと思う。いつだってその先にある音を目指していたい。月森が目指すその先を、俺も一緒に目指していたい。
「だが、どんなに言い合っても本番の演奏は最高だった」
 言い合った分だけその曲を理解し、そしてお互いを理解していった。
 そして本番のギリギリまで言い合っていたくせに、いざ演奏が始まればその言い合いが嘘のようにお互いの音色は綺麗に重なった。
「じゃあ、今日の演奏もうまくいくな」
 このリサイタルでの曲だって、お互いに意見を出し合ってより良いものへと仕上げてきた。
「そうだな」
 そうして俺たちは、笑い合った。
 本番前の穏やかな時間がゆっくりと流れていく。



2009.3.29up