TeaParty ~紅茶のお茶会~

『音色のお茶会』

海に浮かぶ雲36

 抱き締めた腕を解き離れようとした途端、急にぐっと体重をかけられ、俺の身体は後ろへと傾いた。
「おいっ」
 そう言ったときにはすでに遅く、俺はソファへと押し倒された形でうまい具合に身動きを封じられている。
 おまけに俺の腕は、倒れまいと力を入れたことで逆に月森の背をぎゅっと掴んでいた。慌てて離したところで、この体勢ではあまり意味を成さない。
 必要以上に近付くその距離に、俺はいろんな意味でやばいと思った。
「ちょっ、月森っ」
 頭の中ではこの状態から抜け出そうと思うのに、身体は何かに期待するかのように逃げるほうに反応してくれない。それはまるで心と体が別々に動き出したかのようで、自分でもどちらが本心なのかわからなくなる。
 ダメだと思いながらもそらせなかった視線が絡め取られ、俺はゆっくりと目を閉じた。間を置かず、月森の唇が重なってくる。
「音合わせに、来たんじゃないのかよ」
 離れていく唇が名残惜しいと感じてしまうくせに、我ながら往生際が悪いと思いながら、言い訳になる言葉を探す。
 聞こえないとでも言いたげに俺のことを見つめたままの月森は、俺を煽るように触れてくる。
「あ、明日が本番だぜ」
 思い付くまま苦し紛れに出した言葉が月森には効果的だったらしく、その手の動きが一瞬止まる。
「…そうだな」
 そして何かを考えるような間のあと、月森は身を引いた。
 ほっとするような、でもどこか淋しいような気がしながら俺も起き上がると、何かを言いたげな視線がこちらに向けられている。
「なんだよ」
 何か嫌な予感がして思わず一歩下がると、その距離を縮めるように月森の顔が近付く。
 そして俺の頬を、月森の髪が掠めていった。
「明日を、楽しみにしている」
 耳元でささやかれたその言葉に、熱が一気に顔へと集まったのを感じた。
 違う、月森は明日の演奏のことを言ったんだと、そう考えても熱は一向に引いてくれない。
「だからまだ、そんな表情で俺を煽らないでくれ」
 そしてまたささやかれた言葉に、顔といわず全身の熱が上がった。
「だったら…」
 お前こそ俺を煽るなとそう思いながら、そんな月森に翻弄されている自分が悔しくてその言葉は声にはならなかった。
 その言葉も俺の心境も察しているらしい月森は、余裕の笑みを向けてくるから余計に悔しい。
「それより、音合わせ、するんだろ」
 未だに治まらない顔の熱を少しでも冷まそうとぶっきらぼうにそう言えば、あぁ、とそんな短い返事を返してくる月森の表情は更に楽しそうだ。
 その表情には気付かないふりをして練習部屋へと向かえば、ヴァイオリンケースを持って月森も着いてくる。
 そうして弾き始めた曲は、いつもよりもどこか甘い響きを持っていたように感じた。
 感情に引きずられ過ぎた感じの否めない演奏は俺好みの弾き方で、まさか月森が俺に合わせて弾いてくるとは思ってもみなかったから少し困る。
 月森のこんな演奏を聴かされたら、顔の熱は治まるどころか気恥ずかしさが増してしまう。
 でもこれは、今まで二人で作ってきた音楽とは少し違う。
「悪い…。自分勝手に弾き過ぎた」
 俺の弾き方に月森が合わせてきたから、思わずそのまま最後まで弾いてしまった。
「いや、俺も少し流され過ぎたな」
 わかっていて合わせてきたらしい月森は確信犯的な笑みを見せる。
「もう一度、最初から合わせよう」
 そう言った月森はその笑みを真剣なものに変え、もう一度ヴァイオリンを構え直した。
 俺も鍵盤へと指を戻して気持ちを切り替えるように目をつぶり、神経を集中させる。目を開けると、弾くタイミングを計るためにこちらを見た月森と目が合った。
 そこに居るのは、ヴァイオリニストとしての月森だ。そして俺は、そのヴァイオリニストと同じ舞台に立つピアニストだ。
 視線で送られた合図に合わせてゆっくりとピアノを弾き始めると、そこにヴァイオリンの音色が重なっていく。
 ふたつの音が合わさって、二人の音楽が広がっていく。



2009.3.23up