『音色のお茶会』
海に浮かぶ雲35
頭の中を整理するために、俺はしばらく順を追って考えてみることにした。月森が居ない間に俺に別れろと電話をし、帰国した月森には気を惹くような素振りで電話をして俺から引き離そうとした。それが失敗したからまた俺への電話だけになり、その電話が月森にばれたとわかったら、今度は違う方法で俺に電話を掛けてきた。同一人物ではないふりをして。
「でも、やっぱり何か違う気がする」
どう考えても、このやり方は間違っているし変だ。
「彼女の行動には矛盾があり過ぎる。やり方を間違えた、というレベルではない。でも本人にはその自覚はないんだろう。だから誰にも本心が伝わらないで空回りしている」
そして、とても自分勝手で思い込みが激しいのだと思う。
一連の行動にどんな気持ちがあったにせよ、そのやり方でその気持ちが伝わることなんてあり得ない。よく考えればわかるはずのことだ。
「リサイタルが終わるまで君には言わないでおこうと思っていたんだ。けれど普通に電話を掛けてきたと聞いて、話しておいたほうがいいと思った。今回の電話もまた間違っていたが、正当法でこられたらやっかいなことになる」
握られたままだった手が更に強い力で握られ、その強さが月森の心の奥を俺に伝えてくる。
「何度かその演奏を聴いたことがあるが、彼女の弾き方は感情豊かでほんの少し君に似ている」
自然にそらされるその瞳に、不機嫌さを前面に押し出していたその表情に、悲しみとも恐れともとれるものが微かに混ざる。
「似ているから惹かれる、とは思っていないが、悪い芽は早いうちに摘んでおきたかった」
あんなやり方をしてくるやつに、俺の心が傾く訳はない。そんなことは月森もわかっているのだろうが、それでもやっぱり不安に思ったのだろう。
それを俺は信用されていないとか、そんな風には思わない。けれど、そんな風に思わせてしまったのは俺の所為なのではないだろうか。
こんなことならもっと早くに俺が行動を起こすべきだったと、俺はその鈍さを後悔した。
いや、今からでも起こせる行動があるかもしれない。
ふと思い立って、俺はテーブルに置いた携帯に手を伸ばし、切ったままだった電源を入れた。
あの電話を切ってからだいぶ経つからさすがに掛かってはこないだろうと思い、またテーブルに戻そうとした途端、予想を見事に裏切って着信音が響く。
「土浦?」
急に携帯をいじりだした俺を、月森は何をしているんだと言いたげな顔で見ている。
きっとまた掛けてくるだろうとにらんで電源を入れただけで別にこちらから掛けるつもりはなかったが、このタイミングで掛けてきてくれたのなら好都合だ。
「まだ掛けてきてるぜ」
言いながらその番号を確認し通話ボタンを押すと、繋がるとは思っていなかったのか一瞬の間があってから、確認するような声が聞こえ始めた。
「俺も、別れる気はないぜ」
その言葉を聞きもせず、俺は月森の目を真っ直ぐに見つめたままそう告げた。そして微笑んで見せると、月森の目は驚いたように見開かれた。
「これで、今までの行動が全部、間違えだったって気付くだろう」
それは月森に対して言った言葉だったが、電話はまだ切っていなかったから電話越しの相手にも聞こえたかもしれない。聞こえていても聞こえていなくても構わないが、これで間違えに気付いていなかったとしたらどうしようもない。
「最初っから、俺がそう言っていればよかったのにな」
そうすれば、もっと早くにこの電話は来なくなっていたかもしれない。そして相手の真意を知らずに済んだかもしれない。
俺がつぶやいたその一言に、月森は小さく首を横に振った。
「言わなかったのは、俺のことを考えてくれたからだろう。気にすることはない」
そして、そっと抱き締めてくる。
でも、と思いかけて止める。今ここで後悔したってどうなるものではない。ただ、これからは気を付けようと、そう思った。
「サンキュ…」
そっと抱き締め返し、かすかに聞こえる程度の声でささやいた。
何があっても、何を言われても、この手を離さなければいい。そして、この手が離されなければいいと思う。