『音色のお茶会』
海に浮かぶ雲24
音色の変化は一人で演奏しているときにも表れた。弾いていてとても気分がいいし、その気持ちが伝わるのか聴いてくれている人たちの反応も前よりいいように感じる。
変わった、よくなったと言われ、そしてみんなその理由を聞きたがる。
だから俺は、月森とのリサイタルという新たな挑戦という意味で、月森の影響だと答えた。それが理由のひとつであることは間違いないし、そこは隠さなければいけないことではない。
本当の理由はもっと違う意味での影響力だが、そこは俺と月森だけの秘密だ。
実際、同じものを目指す存在としての月森の影響力は、それまで受けていたものとは比べ物にならない程大きい。
そしてその変化は俺の演奏だけではなく月森も同じだから、お互いがいい影響を与え合っているのだと、そんな風に周りの人は納得してくれていた。
そんな俺たちの変化に敏感に反応し、そんな理由では納得してくれないのが例の電話の相手で、おかげで公衆電話からの不在着信履歴が溜まっていく一方だった。
何かある度に電話の回数が増えるというこの行動パターンが、単純過ぎて余計に腹が立つ。
出ないとわかっていて掛けているのか、それとも出るまで掛ける気でいるのか。
完全に着信拒否をした月森のところへは、他の手段を使ってまで掛けてくることはないらしい。だから出なくてもとりあえずは繋がる俺への電話が増えているのかもしれない。
けれど、こんなにも電話を掛けてきて、一体、何をしたいのだろうか。
こうやって掛けてきている電話のことを、月森に知られているとは思わないのだろうか。
様子を見るなんて、やっぱり考えが甘かったのだろうか。何か対策をしておくべきだったのだろうか。
電話はすぐに切られてしまうが、一言くらいならば言い返すことは出来るだろう。けれど具体的な言葉が思い浮かばない。そして俺が何かを言い返すことが、必ずしもいいことだとも思えない。
言い返して認めれば弱みを握られることになる。かといってそんな相手に対して、嘘でも俺たちの関係を否定したくない。
何かしらの反応を返すことでこの電話が鳴らなくなるという保障はどこにもない。むしろ、回数が増えるような気がしてならない。
けれどこの問題はやっぱり解決させないといけない。こんな晴れない気持ちのままで演奏をすることは、中途半端な気持ちでピアノに向き合うのと同じことだ。
リサイタルが始まる迄にはなんとかしないと…。
そう思いながら出るのはため息ばかりで、いい方法が見付からない。
とりあえず次に電話がきたら何か言ってみようと決心すると、今度は電話に出るタイミングが合わないことが何回か続いた。
決まった時間にくる訳でも毎日くる訳でもないからそれも当たり前だが、せっかくの決心が先延ばしにされた気分になった。
そして次に鳴るタイミングと出るタイミングが合ったのは、まるで狙ったかのように目の前に月森が居るときだった。
さすがに月森を目の前にして何かを言うことは躊躇われ、そのあまりのタイミングの悪さに思わずため息を落とした。
「例の電話か?」
俺のため息で察したらしい月森の表情は少し険しい。
「たぶんな」
ため息の理由は月森が思っているものと少し違うが、ここのところ前よりも回数が増えたことは月森にも話していたから、俺は隠さずにそう返事をした。
いつものようにそのまま留守電に変わるのを待とうと携帯を置いた瞬間、なんの躊躇いもなく月森はその携帯を持っていき、そのまま通話ボタンを押した。
『月森さ…』
「俺は別れる気はない」
聞き飽きるほどに聞いたその台詞を、月森の声がハッキリと遮る。
そして、いつもならすぐ切れてしまう電話が、一瞬の間を置いてから切れた音が微かに聞こえた。
その一連の成り行きを、俺はただ茫然と見ていることしか出来なかった。
2009.1.30up