TeaParty ~紅茶のお茶会~

『音色のお茶会』

海に浮かぶ雲22

 ヴァイオリンの準備をしている月森を待つ間、指慣らしも兼ねて軽く弾き始めると、俺の指は頭で考えるよりも先に動いて弾き慣れた曲を奏でていく。
 でも、この音じゃない。俺が奏でたい音色はこの音じゃない。そう思うのに、やっぱり求める音がわからない。
 記憶を探ってみてもその音がみつからなくて、奏でる音色はやっぱり何かが物足りない。
 俺は白と黒の鍵盤の上を指が移動しているのを、まるで人の演奏を聴いているかのように見ていたが、その音色は紛れもなく俺のもので、音色を作り出している指も俺のものだった。
 ボタンすら外せないほどに力の入らなかった指は、今はなんでもなく鍵盤を叩き、いつもと変わらない音色を奏でていく。
 昨日はどうして怖いなどと思ってしまったのだろうか。あのやり取りを思い出して、少し恥ずかしいような可笑しいような気分になった。 
 音楽が生活の中心となっているような月森に、人の音楽を奪えるはずがない。
 それまでなんとなく鍵盤を見ていた視線を月森に向けると、一音一音、確かめるように弦に弓を滑らせる姿が目に映った。
 ヴァイオリンを見つめるその眼差しは真剣で、そしてとても優しい。
 その横顔に目が奪われる。一瞬、奏でているはずのピアノの音が、聴こえなくなったような気がした。
 そんな俺の視線に気付いた月森が振り返ると、その真剣で優しい眼差しは俺へと向けられる。
 戻ってきたピアノの音は、どこかいつもと違う響きで俺の耳に届く。
「・・・?」
 急に変わったように感じたその音色の理由がわからなくて戸惑う俺に、月森はその眼差しのまま小さく微笑むと伴奏ではない俺の曲に合わせて弾き始めた。
「あっ…!」
 二人の音色が重なったそのとき、胸の奥の方で湧き上がる何かが俺の心を震わせ、思わず声が出ていた。
 心のずっと奥深くに、まるで隠すように秘めていた気持ちが、出口を求めて心を叩く。
 形のない何かを掴み取ろうとするかのように、必死で手を伸ばしてくる。
 そんな湧き上がる衝動のまま、鍵盤へと戻していた視線を月森へと戻すと、同じタイミングで月森の視線も俺へと向けられた。
 瞬間、想いがあふれ出す。
 重なる音色が、とても愛しいと思う。二人で奏でる音色が、二人で奏でることの出来る音色が、俺の心を幸せで満たしていく。
 そして自然に、二人の音色は求めていたその音色へと変わっていた。
 それはどこまでもやさしく、あたたかく、やわらかい音色となって心に響く。
 心のどこかで押さえ込んできた月森への想いを素直に音色へと乗せれば、心から求める音色がそこにあった。
 俺の想いはピアノの音色に乗って月森へと向かい、月森が奏でるヴァイオリンから、月森の想いが音色となって俺へと届く。
 一番に奏でたい音色と一番に奏でて欲しい音色が重なり合って作られる演奏は、湧き上がるような高揚感をもたらした。
 やっぱり、隠しておくことなど出来ない。この想いを隠していては、最高の演奏など出来ない。
 けれど、それを二人で奏でていいのだろうか。舞台の上で、奏でても大丈夫なのだろうか。
 そんな揺らいだ気持ちをまるで見透かすかのように、月森のヴァイオリンは更に俺を包み込むかのような音色へと変わっていく。
 そんな音色を聴かされたら、もう、物足りないと思う音になど戻れない。
 月森のヴァイオリンに重なる俺のピアノの音色は、二人の心を満たしながら部屋中に響き渡った。



2009.1.29up