TeaParty ~紅茶のお茶会~

『音色のお茶会』

海に浮かぶ雲12

 相変わらず考え事に思考は揺らいでいたが、ピアノに向き合うと心は自然と落ち着いた。
 ただ、考え事や悩みは、迷いとなって音に表れてしまう。感情的な音だと言われてしまうのは、その辺りの要因が強いからかもしれない。
 本当に集中してしまえば考え事など吹き飛んで無心になれるのだが、練習中はふとしたきっかけでその集中力が切れてしまうこともある。そうすると途端に迷いを織り込んだ音色に変わってしまう。
 俺は鍵盤から指を下ろし、ひとつため息を落とした。
 ドアへと目を向ければ、ガラス向こうに本を読んでいるらしい月森の姿が見えた。しばらくオフの日が続くらしく、月森はその時間を俺の家で過ごしていた。
 例の電話の件もあるから、とも考えたが、変に意識して別行動をするよりも今までと変わらない生活をしていた方がいいはずだ。逆に先手を打ってこちらから何か行動を起こせば、俺たちの関係に確信を持たせてしまうことにもなる。だからとりあえず様子を見ることにしていた。
 一夜明けて、今のところどちらの電話も鳴っていない。諦めたとも思いにくく、このままで済むかどうかはまだわからないが、何も起こらなければいいと、それが都合のいい話だとはわかっていても思わずにはいられない。
 朝から月森とは色々な話をしていたが、リサイタルの話題は会話に上ることはなかった。きっと月森からは話を持ち出さないだろう。俺が返事を口に出すまで待ってくれているのだと思う。
 待つと言ったらちゃんと待っていてくれるのは嬉しい。急かすことも、説得するようなことも、月森はしない。だからきちんと考えて答えを出さなくてはいけないのだと思う。けれど待つと言ったその言葉に、俺は少し甘えている。
 月森が奏でるヴァイオリンに俺のピアノが一番だと言ってくれることは嬉しい。それは月森が俺のピアノを認めてくれているということだ。俺が恋人であることも、俺が有名なピアニストではないことも、月森にとっては関係ないことなのだろう。
 けれどそれが月森の初リサイタルという大舞台での演奏となると、それを素直に喜べなくなってしまう。なぜ俺が選ばれたのだろうかと思ってしまう。
 俺は心のどこかで気にしている。口では気にしていないと言いながら、月森と俺の関係や、月森と俺の立場的な差を、本当は誰よりも俺が気にしているのかもしれない。
 何が怖いのだろうか。関係がばれることか。それとも俺では役不足だと言われることか。
 そう自分に問い掛ければ、その答えはきっと後者のほうだ。
 月森に負けたくない、月森と並んでいたいと思いながら、俺はいつも月森の背中を追いかけている。だから月森と比べられることを怖れている。今あるその差を世間がどう見るのかと、そんなことを気にしている。
 これじゃまるで、音楽から逃げていた子供の頃と同じじゃないか。
 音楽が好きなのに、人前で弾くことから逃げた。人に評価されるということから逃げた。
 こんな風に悩むのなんて今更だ。
 俺は、そんな小さな評価が欲しくてピアノを続けてきた訳じゃない。いつだって目指すのは、今よりも更に高いところにある、俺にしか奏でられない自らの音色だ。
 今、目の前に開けたその高みへの道を、俺は真っ直ぐに進んでいきたい。
 俺は悩む気持ちを吹っ切るように、椅子から立ち上がった。



2009.1.4up