『音色のお茶会』
『parallel mind』 untruth ~イツワリ~ R
近付く唇。引き寄せられる身体。
漏れる吐息。
囁かれる睦言。
それはあまりにも甘くて。
そうだったらいいのにと、心の奥が叫んでいる。
今にも触れそうな唇を受け入れようと目をつぶっても、何故かその唇は一向に触れてこない。
焦れた想いのままうっすらと目を開けるとそこにいるはずの姿はなく、白い天井がその視界に入ってくる。
辺りを見回してみても、目に映るのは見慣れた自分の部屋ばかりで月森は居ない。
「夢…か?」
無意識に出た言葉が紛れもない現実で、その声が耳に届いてやっと、それが夢だったのだと理解する。
部屋はまだ薄暗く、ベッドサイドの時計に目を向けると針は4時を少し過ぎたところを示している。
せめてもう少し、夢の中に浸っていたかったと思う。夢の続きをあともう少しみていたかった。
このまま目をつぶったら、夢の続きをみられるだろうか。引き寄せられたあの腕の中に、もう一度戻ることができるだろうか。
そうして目をつぶってみても、睡魔はまったく訪れてくれない。
「そうだったら、よかった…」
思わず口をついて出た言葉を、夢の中でもずっと思っていたような気がする。
「夢だって、自覚していたんだな…」
現実ではありえない、あんなこと、夢でしかありえない。
誰も居ない空間に手を伸ばしても、何も掴めやしない。
「――――」
声には出さず、口の動きだけで名前をつぶやいてみる。
その名前を、行為の最中に呼んだことはない。
呼んでしまったら、この気持ちがばれてしまいそうで怖かった。そのまま縋ってしまいそうで、だから、名前を口にすることは躊躇われた。
「呼ばれたこともなかったかもな…」
どんなに記憶と辿っても、自分の名を呼ぶ声が思い出せない。それなのに、違う名前を呼ぶ声がやけに鮮明に思い出された。
「だから呼ばなかったってことか」
そう気付くと、無性に心が痛い。
代わりだったのだろうか。誰でもよかったのだろうか。
それでもいいと思っていた。それで傍に居られるのならば。
「いいわけないくせに」
肯定する自分の思考に、否定の言葉を口に出す。
「傍にも居られなくなったくせに」
今はその姿を見ることも、その声を聞くことも、触れることもできない。
それなのに聞きたくもない噂だけが、俺の耳に入る。
その名前が噂に上る度に心がざわめいて、未だに動揺してしまう。
「俺の道とお前の道は、もう繋がることはないかもな」
月森は音楽家としての道を確実に、着実に進んでいる。
俺も音大へと進みその道を歩んではいるけれど、子供の頃のように音楽から、ピアノから離れてしまったわけではないけれど、でも月森の道とはあまりにも遠く離れてしまったような気がする。
「戻れたらいいのに…」
つぶやいて、『どこに?』と自分に問うた。一体、どこに戻れるというのだろうか。
「戻れるわけ、ないだろう」
夢の中にも、あの頃にも、気付く前にも戻れない。
でも、せめて、夢の中にだけでも戻れたらと布団を頭からかぶって目をつぶってみる。
瞼の裏にその姿が浮かびかかって、でもはっきりとした輪郭を作らないまま薄闇へと溶けていく。
偽りの夢の中にすら、たどり着くことができない。
心に残っているはずの思い出でさえも、今となっては幻だったようにすら思える。
「何ひとつ、確かなものなんて残ってないんだ…」
それは自分に言い聞かせる言葉だったのか、それともただの諦めだったのか。
夜はまだ明けない。
『parallel mind』 untruth ~イツワリ~