『音色のお茶会』
『parallel mind』 untruth ~イツワリ~ L
ホールに響き渡る綺麗に重なった音色。惜しみなく送られる拍手と喝采。
引き寄せられたように絡まる視線。
弾き終えた満足感と達成感に零れる笑顔。
それはあまりにも温かくて。
そうだったらいいのにと、心の奥が叫んでいる。
演奏を終えた充実感に目をつぶると、耳に残る音色と拍手が余韻となって心を満たす。
向けられた笑顔にこちらも返そうと目を開くと、そこにはピアノがあるだけで誰も座っていない。
ゆっくりと辺りを見回せば、目の前には拍手を送る観客もなく、隣家の白い壁と木々だけが窓の向こうに見えた。
灯りのついていない部屋はほのかに薄暗く、静寂そのもので何ひとつ音を立てていない。
「錯覚か…」
その静寂を破って聞こえた声が自分の声だと気付いてやっと、そこがウィーンの自室であると認識する。
土浦のピアノの音色を聴いていたような気がした。俺はそれに合わせてヴァイオリンを弾いていた。
「二人で同じ舞台に立つことなど…」
そんなことあるわけがない。
けれどそれを声に出して言うことができなくて言葉は中途半端に途切れた。
「やはり錯覚だ」
だから、そんな言葉で自分を誤魔化した。
土浦の伴奏でヴァイオリンを弾いたことは何回かあったが、それが満足のいくものだったかと聞かれれば、決してそうではなかった。
演奏としてだけならばそれなりだったが、そこには二人の意思の疎通なんて全くないに等しかった。
「合わせようとさえしなかった」
一緒に演奏することが嫌だった訳ではない。むしろその逆だったのに、合わせてしまったらこの気持ちを悟られそうで出来なかった。
合わせたいのに合わせられない。そんなジレンマに苦しみながら弾くヴァイオリンが、いい音色を出すはずがない。
「重なった音色を聴きたかった…」
さっきまで聴こえていたはずのピアノの音色を思い出そうと目をつぶる。
寸分のずれもなかった。土浦のピアノも俺のヴァイオリンも、一度も聴いたことのない音色を奏でていた。
「そうならばよかった…」
声に出してみて、ずっと前から、そして今でもそう思っているのだと気付く。
けれどさっきまで弾いていたはずの自分の演奏が、どうしても思い出せない。
いつも以上に上手く弾けた演奏も、奏でたその音色さえもただの錯覚で、俺の願望でそう思い込んでいるだけなのではないかとさえ思う。
まるで飲み込まれそうなほどに存在感のあるピアノの音色は思い出せるのに、その音色に重なった自分の音色は聴こえてこない。
それなのに、俺のヴァイオリンではない音色がそのピアノに重なっていく。
「だからあんなにも優しい音色なのか…」
相手が自分ではなかったのだと気付いて、無性に悲しくなった。
「そんなことはわかっていた」
手を伸ばしても届かない、望んでも叶えられることはない。
「わかっているふりをしていた…」
それでも、止めたくなくて諦めたくもなかった。
わかっていたはずのことが、本当は何もわかっていなかったのだと思い知らされる。
「一緒に弾いてくれ」
今更そんな言葉を口に出しても、もう届きはしない。
「一緒に…傍にいてくれ…」
思わず口に出た言葉が、本当に今更に思えて妙に悲しくなった。
もう会うこともないのだと思う。例え会うことがあろうともその先なんて何もありはしない。
あるのは過去だけ。その記憶だけ。
心に残された記憶を、その姿を、その音色を、その熱さを、一体いつまで憶えていられるのだろうか。
永遠に忘れたくないと望みながら、いっそのこと忘れてしまえたらとも思う。
「それならば知らなければよかった…」
それは本心なのか、ただの言い訳だったのか。
永遠はまだ遠い。
『parallel mind』 untruth ~イツワリ~