『音色のお茶会』
オトメゴコロコイゴコロ5
「やっぱり夢じゃなかったのか…」一夜が明け、俺は鏡に映った自分の姿を見て、思わず大きなため息を落とした。
リリにかけられた魔法は家族にもばれることがなくいつも通りに過ごすことはできたが、俺が自分の変化に慣れることはなく、昨夜はどっと疲れた時間を過ごす羽目になってしまった。
とりあえず制服から着替えようとタンスを開ければそこにあるのは見慣れた服で安心したが、まず、制服を脱ぐ勇気がなかなか出てこなかった。姉貴がいることで色々と免疫は出来ているかもしれないと思ったが、それが実際自分のこととなるとやっぱりそう簡単には割り切れないものだった。
頭ではわかっているつもりでも目にする度に驚かずにはいられず、そして着替え終わって、これはどうなんだろうという気分になった。
どうやら20cm近く小さくなってしまった俺の身体にはどの服を選んで着ても確実に大きく、余った感じが変な想像を掻き立てるようでなんとなく恥ずかしい。季節が夏ではなかったことがまだ救いだったのかもしれない。
服はぶかぶかなくせに妙なところがきつく感じ、その慣れない感覚がずっと気になって気になって仕方なかった。
昨日のことを思い出してもため息を量産するだけだと気分を切り替え、学校へ行く支度を始めることにする。
さすがに風呂まで経験してしまえばもう着替えくらいで驚くことはなかったが、スカートを履くことに抵抗を感じずにはいられず、着替えるだけでいつも以上に時間が掛かってしまった。
なんとか支度を終えて家を出れば、少し離れたところに立つ月森が目に入って驚いた。
「おはよう、土浦」
思わず走り寄れば、俺が口を開くよりも前に声を掛けられた。
「おはよう…。何でお前、こんなところに…」
昨日の今日で月森にはどんな顔で会ったらいいのだろうと考えていたが、まさかその考えがまとまる前に、それも朝一番に顔を合わせる羽目になるとは思いもしていなかった。
「どうしても気になって。すまない、迷惑だっただろうか」
並んで歩くとより実感せざるを得ない俺より高い位置にある月森の顔を見上げることが出来なくて目だけを月森に向ければ、心配そうに俺を見ている視線とぶつかって慌てて視線を逸らした。
「いや、迷惑っていうか、やっぱり驚くだろう、普通」
昨日のこともあり、どうも月森には思った以上に心配されているらしいことはわかるのだが、俺には月森がそこまでしてくれるその理由がわからない。
出会ったばかりの頃に比べれば普通に話をするようになってはいるが、仲良く話すような仲になったわけではない。文化祭の演奏会では月森もアンサンブルメンバーだが、俺と一緒に演奏する曲目はなく、顔を合わせたのも久し振りなくらいだ。
それなのに、この月森の態度は一体、何だというのだろうか。
「昨日は、本当にすまなかった。謝ってもすむことではないとわかっているんだが…」
ずいぶん気にしているらしい月森のその態度に、謝るためにわざわざここまで来たのだろうかと思った。
「まぁ別に…俺も月森に八つ当たりみたいなことを言ったし…。気にしてないから」
リリにも日野にも言えなかった文句を、いつも言い慣れている月森にぶつけてしまったことは悪いと思っている。
それに月森が一番気にしているのであろう昨日のあのことを気にしていないと言えば嘘だったが、出来れば忘れたかったし、月森にも早く忘れてほしいと思った。
「だから、この話はもうなしな」
「気にして、いないのか…?」
月森があっさりと俺の言葉を受け入れるとも思えず、反論の言葉が返ってくる前に話を打ち切ってしまおうと先手を打ったつもりだったが、月森が俺へと向けてきたのは何故かショックというか落胆というか、とにかくそんな感じに見える表情だった。
「俺は君を…、いや、今ここで言っても君には信じてもらえないかもしれないし、昨日の言い訳に聞こえるかもしれないが、それでも俺は君が…」
月森の表情に驚いて思わず月森を見上げれば、真っ直ぐで真剣な瞳が俺へと向けられていた。そして不意に手をとられ、両手でぎゅっと包み込むように握り締められた。
「俺は土浦のことが好きなんだ」
続いて、そんなことを言った月森の真剣な声が耳に届く。
「え…? え、って、何…。急に、はぁ??」
自分でも間抜けな受け答えをしているという自覚はあったが、まともな言葉なんかこの状況で浮かんでくるほうがおかしい気もする。
「ちょっと待て、お前、自分が何を言ってるのかわかってんのか?」
「わかっている。俺は土浦が好きだ。もちろん、恋愛感情という意味でだ」
気を取り直してその言葉の真意を問えば、揺るぎなく真剣な返事が間を置かずに返ってくる。
「昨日、日野が入ってくる前に弾いていた土浦の演奏は俺の心にとても響いた。君の演奏をもっともっと聴いていたいと思った。そしてこの音色を、俺だけのものにしてしまいたいとそんな風に思ってしまった」
日野が入ってくる前に弾いていた曲といえば、日野曰く“甘くてキュン”な演奏だったというもので、そうなったのであろう原因は月森だということも一応、自覚している。
つまり、俺が月森のことを考えながら弾いていた曲で、それを聴いた月森が俺のことを好きになったと、そういうことか?
順序立てて考え、いやだからってそう簡単に納得出来ることではないだろうと思う。
俺は握られた手を振り解き、逃げるように歩きながらもう一度よく頭の中を整理した。
「確かに今、俺はこんな格好だけど、本当の俺は男だぜ? お互いの演奏が気に入らなくて、言い合いばっかり繰り返してた土浦梁太郎なんだって、忘れたわけじゃないよな?」
歩き始めた俺を追うように月森が隣を歩いていることを横目で見ながら、俺は納得のいく答えを出そうと疑問をぶつけてみた。
「もちろん忘れてなどいない。俺は君の奏でる音色を、そして君自身を好きになった。だから男も女も関係なく、土浦が好きなんだ」
「でも、昨日の今日でいきなりって…」
話を聞く限り昨日――正確には俺の演奏を聴くまでは月森の中にそんな感情はなかったのだろうし、きっかけがその演奏だというのならそれこそたまたまであって、そんなときに俺がこんな格好だったから錯覚を起こしているだけだと考えるのが妥当なところではないだろうか。
「俺も衝動のようなこの気持ちの正体が何なのか初めはわからなかった。だが今は自分の気持ちを自覚している。人を好きになるのに時間も男女も関係ないということも…」
俺が何を言おうと、月森は全て真面目に答えを返す。月森の言葉はいつも説明が足りていないのに今日はやけに饒舌で、それはまるで俺が作る逃げ場をひとつひとつつぶしていくような感じだった。
「でもそれは…」
反論する言葉が見付からないまま、認められない心が月森の気持ちを否定する。
「すまない。土浦を困らせたかったわけではないんだ。ただ、この気持ちを伝えずにはいられなかっただけで、君に俺の気持ちを強制する気はない」
まるでそんな俺の心を見透かしたような月森の言葉にそっと顔を上げれば、月森はやはり真っ直ぐに俺のことを見つめていた。
「それと、昨日みたいなことはもうしないから安心してくれ」
その目は優しそうにも悲しそうにも見え、まるで心臓をぎゅっと掴まれたような痛みを俺にもたらした。