TeaParty ~紅茶のお茶会~

『音色のお茶会』

オトメゴコロコイゴコロ4

「じゃあ、また明日ね。何かあったら電話でもメールでも、何時でもいいから連絡してね」
 別れ間際、原因が自分にもあるのだと思い出したらしい日野は練習室で見せた以上に申し訳なさそうな顔を見せた。
「わかった。そんなに気にすんなよ、お前らしくない」
 日野の一言さえなければと思わないわけでもないが、ここで日野を責めたところで仕方ないし、ただの責任転嫁にしかならないこともわかっている。
 だから笑顔で日野とは別れたが、その姿が見えなくなると知らず知らずため息が落ちた。
 それは日野を心配させまいと必要以上に明るく振舞っていたこともあったが、大丈夫であろうと思ってもやっぱり家に帰ることに不安を感じていたからかもしれない。
「不安なら、俺の家に泊まりに来るか?」
 そんな俺の様子に気付いたらしい月森は思ってみもないことを口に出した。そんな申し出に俺は驚き、そして急に羞恥を感じてしまった。
「この格好のときに月森の家に泊まりに行くのはまずいだろう」
 普通に遊びに行くのならまだしも、泊まるというのは色々な意味でハードルが高い。
「あぁ、そうだな。いや、その、すまない…」
 そう言って月森は慌てたように顔を伏せた。どうやら自分が言った言葉がどういう意味を持つのか気付いていなかったらしい。
 そんなところが月森らしいと思えば不思議と気分が楽になり、いつものように文句の言葉は出てこなかった。
「ま、とりあえずチャイム押して様子を見ることにするさ」
 なんでもなく出迎えられたら鍵を忘れたと言えばいいんだし、不振な顔をされたら同級生ということにして忘れ物を届けに来たとか、うまく誤魔化せばいい。
「それならば、せめて家まで送らせてくれ」
 止まっていた歩みを再開すればそんな言葉を掛けられ、俺はまた驚いてその歩みを止めた。
 さっき顔を伏せたときのような慌てた様子はすでになく、真っ直ぐに俺を見る月森はいつもと変わりない。だからそれが月森から発せられた言葉だとは信じられない。
「なんだよ、急に…」
 月森から向けられる視線が真っ直ぐ過ぎてなんとなく落ち着かない。それがいつものように同じ高さではなく見下ろされているというのに、いつものような高圧的な感じを受けることがないから更に落ち着かない気分になった。
「君の家はまだ少し先だろう。だいぶ暗くなってきているし、この辺りは人通りが少なそうだから気になるんだ」
 確かに住宅街に入ると人通りは少なくなる。それでも毎日歩いている慣れた道だし何で今更と思ったが、自分自身がその毎日とは少し違うのだと気付けば、月森の言葉は一理あるような気もした。
「なんだよ、何で俺のことなんか、そんな気にしてるんだよ…」
 だが、月森が誰かに対して優しい態度を向けているところなど今まで一度も見たことがない。それがどうして俺に向けられているのか疑問に思ってしまうのは仕方がないことだろう。
 だから月森を真っ直ぐに見上げてそう聞けば、その表情が動揺を示すものへと変わっていった。
「それは…」
 月森にしてはめずらしい言い淀む態度に、更に訳がわからなくなる。
「別にお前の所為ってわけじゃないし、それよりもお前は俺がこんな風になった経緯なんて知らないんだから気にする必要なんかないだろう」
「それはそうだが…。それでも、俺はどうしても土浦が気になるんだ」
 向けられる視線と同じように、その言葉も真っ直ぐ俺へと伝えようとしているのがわかる。
「俺が女になったから? 同情してるとでも言うのかよ…」
 そんなことを言っていないことはわかっている。自分にも他人にも厳しい月森が、同情で人に優しくするようなヤツではないことも嫌っていうほど知っている。
 だからこそ、今までに見せられたことなどない態度を見せられ、今まで知っている月森からは想像など出来ない言葉を向けられることが不思議で訳がわからなくて、いつものように文句の言葉を返さないとなんだか不安になってしまう。
「俺のことなんて、ほっといてくれ…っ」
 だから、もしかしたら本心ではない言葉ばかりが次々に口をついて出てきた。
 普段こんなことで緩む涙腺ではないが何故か今日はそれを止められず、俺はそれを隠そうと俯いた瞬間、伸びてきた月森の腕の中に抱き締められてしまった。
「なっ」
 その腕の中に自分がすっぽりと入ってしまっていることに少なからずショックを受け、いや今はそんなことを考えている場合ではないだろうと自らにツッコミを入れ、けれどそれ以上、どう反応していいのかわからないというのが今の心境だった。
 頭の中が真っ白になっているのか、それともぐちゃぐちゃになっているのか、とにかく何の行動も起こせないでいれば、月森の手が俺の髪を撫でるように触れてきた。
「つ、月森っ」
 その自然なんだか無意識なんだか分からない月森の行動に胸がドキドキしてしまったことを自覚して、思わず月森を押し返そうとするがそれは叶わなかった。
 自分の力のなさにまたショックを受けたが、押し返そうと触れていた月森の胸からも俺と同じくらい早い鼓動を感じて思考も抵抗も止まってしまう。
「土浦…」
 ささやかれた自分の名前に、まるで壊れてしまうのではないかというくらいに心臓が高鳴った。
 相手が月森だと理解しているはずで、それなのに嫌悪感は全くなく、月森の行動にも自分の反応にもただただ驚くばかりだ。
「月森、痛い…」
 段々と強くなるその腕の力に痛みを訴えれば、月森はやっとその腕を解いてくれた。
 ホッとしたが、まだ心臓は激しく鳴っていて、俺は月森の顔を見ることも出来ずに俯いてしまった。
「突然すまなかった…。だが、とにかく送るから帰ろう」
 今日、二度目となる月森からの謝罪のあと、月森は急に俺の手をとるとそのまま歩き始めた。
 引っ張られた手が痛くて文句を言うために見上げた月森の横顔は、暗いから見間違いえかもしれないがなんだか赤い気がする。だからまた文句の言葉は声にすることが出来ず、今日の月森には調子を狂わされてばかりだと思う。
 だが月森の意外な一面を見られたのだと思えばそれも悪くないような気がして、俺は仕方なくそのまま月森に家まで送ってもらってしまった。
 家のチャイムを押せば、俺の心配をよそに母親にいつもと同じ態度で出迎えられた。
 別れ際の月森とは、じゃあ、また、の短い挨拶しか交わさなかったが、その顔が思い切り心配そうだったことを思い出し、その場では言うことの出来なかった、送ってもらった礼と、大丈夫だったと報告の電話を掛けた。
『よかった。では、おやすみ』
 そう言った月森の声は何故かずっと耳に残っていて、しばらく俺の鼓動を早めたままにさせていた。



2012.4.1up