TeaParty ~紅茶のお茶会~

『音色のお茶会』

オトメゴコロコイゴコロ3

「土浦君、すごい。今の演奏、すごくよかったよ」
 弾き終わった余韻を感じる暇もなく、いつの間にか戻ってきた日野の声に俺は驚いて顔を上げた。
「ずいぶん早かったな…」
 短い曲ではなかったが、呼び出された日野がもう戻ってきているとは思いもしなかった。扉が開いたことにも気付かないくらい集中していたのだろうかと考えたが、曲を弾くこと以上に頭の中を占めていたもののことを思い出し、なんだかまた顔に熱が集まっていくような気がした。
「だって、人のこと呼び出しといて、別の用が出来たからまた今度なって追い出されちゃったんだもん」
 そう言って、日野はさっき俺に見せたのと同じように口を尖らせて拗ねた表情を見せたが、すぐに取り戻した笑顔が俺に向けられ、なんとなく嫌な予感がした。
「それより土浦君、私がいない間に何があったの? 甘くてキュンってするような演奏だったよ」
 ものすごく嬉しそうな声でそう言われ、何のことだと思いながらも今までの演奏を振り返ってみた。
「甘くてキュン…?」
 だが日野の言葉に反応して月森が繰り返したその単語は月森が発するには少し似合わなさ過ぎて、思わず笑ってしまうことを優先してしまった。まぁ、俺が言っても同じだろうから人のことは笑えないが、それでもやっぱり月森には似合わない。
「何が可笑しいんだ」
 今度は月森から拗ねたような表情を見せられ、見たことのないその表情にまた胸が高鳴ってしまった。
 そしてその胸の高鳴りで、さっきの曲がいつもと違う心境で奏でられたものだったのだと思い出した。
「…っ」
 俺が誰のことを考え、胸を高鳴らせてその曲を弾いていたのかなんてもう明白で、そしてそれが演奏に影響を及ぼしていたらしいと知って困惑する。
 思わず月森へと視線を向ければ、同じタイミングで俺へと視線を向けたらしい月森とバッチリ目が合ってしまった。
「もう一度、弾いてみてくれないかな」
 そのタイミングで日野の声が聞こえ、俺は慌てて月森から視線を外して日野へと向け直した。
「あぁ、わかった」
 ほぼ無意識に近い状態でそう答えながら、月森からは外されることのなかった視線が俺に向けられていることを感じていた。
 鍵盤に手を伸ばしてもその視線が気になって集中出来ず、だからさっきの演奏のようにうまく奏でることが出来なくて、俺は曲の途中で思わずその手を止めてしまった。
「土浦君?」
 急に止まった演奏に対して日野が不思議そうな声を出すのは当然で、自分でも何をやっているのだろうと思った。
 何かに気をとられて弾けなくなったことは初めてではなかったが、そんな心境さえも俺は自分の演奏の一部にしてきたはずだ。それなのに今は、どう演奏していいのか自分でもわからなくなってしまっていた。
「日野がそんなに期待を込めた目で見ているから弾けないんだろう。それに俺も…」
 どう言ったらいいのかと言葉を探していると、そんな俺をフォローしたのは意外にも月森だった。
 そして最後の言葉は誰にも聞かせるつもりなどなかったのか小さなつぶやきで、もしかしたら俺の聞き間違いだったのかもしれない。
「それもそうだよね。それにまだ身体にも慣れてないだろうし…。無理させてごめんね」
 月森の言葉を聞き返すよりも前に、反省していますという表情で日野に謝られ、俺はそれに、いや、と短い言葉を返した。
 何故、月森は俺をフォローしたのだろうと気になるものの、それを月森に聞くことが出来ない。いつもならそんなことをされたら文句の言葉が先に出てくるはずなのに、それすらも出てくる気配がない。
 これも魔法の所為なのかと考えたところで、まるでその思考を遮るかのように下校を知らせるチャイムの音が鳴り響いた。
「もう、こんな時間か…。君はこれからどうするんだ?」
 月森にそう尋ねられ、俺はこのままでは帰れないという重大なことを思い出した。この姿のまま家に帰っても家族は困るだろうし、それは自宅に限らず、どこに行っても同じことのように思える。
「まずはリリを探してみるのが一番かも」
 俺が答えるよりも前に、日野はそう提案してきた。確かに、魔法をかけた張本人を探すのが一番早い解決策かもしれない。だが、リリを探す手掛かりなどあるのだろうか。
「正門前の妖精像の辺りはリリに会いやすいの。リリに会えなくても、他のファータたちがいればリリの居場所がわかるかもしれない」
 俺が疑問を口に出す前に、日野はその答えを教えてくれた。
 最終下校時間まであと少し。俺たちは急いで練習室を後にした。
「あれ、日野さん。こんな時間まで練習? お疲れさま」
 練習室棟を出てすぐ、聞き覚えのある声が日野を呼び止め、知り合いにはもう会いたくない、というささやかな願いは案外早くに叶わないものとなってしまった。
「うん。加地君こそ…」
 日野はそう言い掛けて、続く言葉をなんとなく飲み込んだらしい。ここで加地に話を振れば、足止めされてしまうことはたぶん避けられず、それを気にしたのかもしれない。
「僕は先生に頼まれてちょっとね。それにしても、月森と土浦さんが一緒に練習だなんてめずらしいね」
 対する加地は日野が言いたかったであろうことを見事に察し、そしてまた日野の気持ちを汲み取るように完結な返事を返し、更に驚くべき言葉を俺と月森に対して投げかけてきた。
「え…」
「あれ、違った? 一緒に歩いていたから練習も一緒だったのだと思ったのだけれど、偶然会っただけだった?」
 思わず三者三様に疑問の声を上げて加地を見れば、三人分の視線を受け止めた加地は困ったような驚いたような顔で言葉を続けた。
 俺は加地に名前を呼ばれたのだと自分の姿を確認したが、そこにはどうにも慣れない制服とその他諸々が相変わらずあって、元に戻っているわけではなかった。それによく思い出せば、加地は俺のことを“土浦さん”と呼んでいたような気がする。
「いや、用事があって、そのまま少し話をしていた」
 こんなとき、月森のどこか足りない説明が逆に役に立つ。加地もそんな月森の言動はわかっているからこれ以上は突っ込んでこないだろう。
「そうだったんだ。じゃあ僕は鍵を返しに行かなくちゃいけないから、また明日」
 予想通り、加地はそのまま深くは追求せずにこの場から立ち去ってくれた。
「今、土浦さんって呼んでたよね…?」
 そして残された俺たちは、加地の発言に頭を悩ますことになった。
「つまり加地は、俺のことをこの姿で認識してるってことか?」
「どうやらそのようだな。だが俺は、君が演奏していなかったら土浦だと気付かなかったと思う」
「私も、あの瞬間にあの場にいてさえ、最初は土浦君だってわからなかったよ」
 それはもしかしたら加地だからなのかもしれないという、なんとなく有り得そうな疑問は口には出さなかったが、どうやら月森も日野も同じようなことを考えているらしかった。
「もし、加地君の特殊能力じゃなければ、そのまま家に帰っても大丈夫なのかも…」
「加地の特殊能力だったらどうするんだよ」
 傍で聞いていれば笑いを誘うような、そして加地に聞かれたらひどいよと軽く文句を言われそうな会話だったが、俺たちは真剣にそんなことを言い合いながら正門前へと向かった。
 そしてしばらく歩いたその先でサッカー部の後輩に会い、ここでも普通に挨拶されて加地の特殊能力ではないことが証明された。
「これって、リリの魔法が時間差で効いてきてるってことなのかな」
 それを確かめようにも確かめる術はなく、そして頼みの綱だった妖精像の前に来てもリリはおろか、それ以外のファータを見付けることは出来なかった。
 ただそこで会った冬海には“はじめまして”と挨拶をされ、そしてその後で通った火原先輩にも同じように初対面の対応をされた。
「つまり、リリの姿を見ることが出来るか出来ないかで、認識が異なるということのようだな」
 俺たちが出した結論は、結局そういうことになった。
 学院から出ても周りの反応は変わらず、それならばとりあえず問題はないだろうと家に帰ることにした。