TeaParty ~紅茶のお茶会~

『音色のお茶会』

オトメゴコロコイゴコロ2

「つまり、リリが言っていたのはこういうことなんだね」
 何でこんなことになったのだとそう思ったタイミングで、日野のどこか冷静な声が聞こえてきた。
「こういう…」
 あまりの衝撃に頭の中がパニックになっていたが、その言葉が示す“こういう”ことが“どういう”ことなのかを理解するために一旦、目をつぶってみた。
 さっき見た制服は気のせいだったのかもしれないという淡い期待を抱いてゆっくりと目を開ければ、だが現実は無常なもので見える制服が女物であることに変わりはない。そして、見える自分のあれこれが今までとはなんとなく違い、簡単に言ってしまえば全体的に縮んだ感じがした。
 そしてあの光に包まれる前のリリの言葉を思い出し、何かがカチリと填まった音が聞こえたような気がした。
「っておい、変な魔法かけて逃げるとはどういうことだ」
 思わずリリがいたその場所を見上げて文句を言ってみたが、すでにそこには余韻の光すら残っていない。
「たぶん、もういないと思うよ…?」
 困ったような、でも少し楽しそうな日野の声が聞こえ、そんなことは俺だってわかっているのだと言う気持ちを込めてため息を吐いた。
「どうしてあいつはいつもこう、自分勝手なんだろうな…」
 そうつぶやいて、やっぱりその声がいつもと違うことにまたため息を吐きたくなった。さっき叫んだときも妙に迫力に欠けていたというかなんというか、妙な感じだったことを思い出す。
 リリとは初対面のときからずっと振り回されっぱなしだ。あのときリリが俺をコンクールに出場させなければ、俺は今でもずっと一人で音楽の世界にいたことだろう。こうやって仲間たちと一緒に音楽を奏でることなどなかったと思う。
 振り回されたという思いは強いが、音楽の世界へと戻るきっかけを作ってくれたことはまぁ、嬉しいと思ってはいる。だが今回のことはどう考えても喜べないし、この先にいいことが待っているとはどうしても思えない。
「鏡、見てみる?」
 もう何度目になるのかなんてわからなくなったため息を吐きそうになったところで、日野に声を掛けられた。
「いや、やめとく…」
 ピアノに映るのは制服だけで顔は映っていない。ただ、俯いたときに何か頬を撫でる感触があって、髪まで伸びていることを知った。
 思い出すのはよく似ていると言われる姉貴のことで、たぶんそんな感じなのだろうという想像は出来たから敢えて確かめる気は起きなかったし、自分の目で見て確かめるような勇気などまだ持てそうになかった。
「じゃあ、ピアノ弾いてみる?」
 続いた日野の言葉に、何がどう繋がって“じゃあ”になるんだろうと思ったが、リリの目的はそこだったんだなと思い出し、こうなったらもう、どうでもいいような気分になってピアノへと手を伸ばした。
 一回り小さくなったような気がした手を思い切り開いてみれば、鍵盤ひとつ分、指が届かなくなっていて唖然とした。試しに軽く弾き始めれば、いつもよりも鍵盤が重く感じるような気もした。
 それでも続けて弾いていくうちにその手の大きさにも重たさにも慣れ、いつもと同じ音色を奏でることが出来て、どこかホッとした気持ちで演奏を終えた。
「うん、音色は変わらないな」
 そうつぶやいて顔を上げれば、日野はなんだか残念そうな表情をしていた。
「女の子になったのは身体だけなんだ…」
 そして同じくつぶやくように返ってきたその言葉に、俺は敢えて言葉にしないようにしていた自分に置かれた状況を再確認させられ、妙に恥ずかしい気分になった。
「そ、そりゃそうだろう」
 今の今そんな状態になって、身体だけじゃなく心まですっかり変わってしまうなんて、そんなことは魔法という特殊なものを使われたのだとしてもあってほしくはない。
「じゃあ、そんな気分で弾いてみて」
 だから何がどうして“じゃあ”なんだと思いはするものの、思い切り期待を込めて向けられる日野の目にはなんとなく逆らえない。
 だが、やっぱり日野の言うそんな気分というものがどんな気分なのか俺にはわからない。思い浮かべるような誰かがいるわけでもなく、それならば好きなことを思い浮かべればいいのかと考えてみたが、ちょっと面白いなと思った数式とか思い切りサッカーボールを蹴った瞬間とかそんなものばかりで、どう考えても日野の注文に副うものではないような気がする。
 それでも出来ないと答えるのはやっぱり悔しく、美味しいとリクエストされて料理を作っていたときの気分を思い出しながらもう一度ピアノを弾き始めたが、やっぱり日野の注文には応えられていないような気がした。
「練習の邪魔をしてすまない」
 曲の途中で扉を叩く音が聞こえて演奏を止めれば、日野が返した返事で扉がゆっくりと開いて月森が入ってきた。
 こんな姿のときに、知っているヤツになんか会いたくないと思い、だが、名乗らなければ俺だと気付かれることはないのだと気付いて、俺は初対面を貫こうと決めた。
「金澤先生に日野のことを呼んでくるように頼まれたんだ」
 月森の台詞に、使いっ走りのようなことも断らなくなったんだなぁと思う。コンクールが始まったばかりの頃に見た同じような場面で、月森はその度にやんわりと断っていた記憶がある。
 それとも呼び出しの相手が日野だったからなのだろうかと考えたところで、なんとなく気分がイラッとした。
「わざわざ呼びに来てくれてありがとう。じゃあ、ちょっと金澤先生のところに行ってくるね、土浦君」
 俺を振り返った日野は、わざわざ俺の名前を出してから月森の横をすり抜けるようにして扉に手を掛けた。
「日野っ」
 月森にばらされたことに文句を言いたくて思わず椅子から立ち上がり呼び止めたが、いたずらっ子のような笑みを見せてすぐに扉は閉められしまい、たぶん俺の名を日野が口に出さなければ一緒に出て行ったのであろう月森と二人きりで取り残される形になった。
 扉へと視線を向けたことで、その近くにいた月森とも目が合ってしまい、その驚きの表情に何をどう言っていいものかと考えを巡らせた。愛想笑いで会釈、なんて月森相手には出来そうもなく、そもそも俺が土浦だと月森にはばれているのだから、今更取り繕うようなことをしても意味はないだろう。
「聴こえた音色が土浦に似ていると思ったんだが…本当に土浦だったんだな」
 しばらく続いた沈黙を破ったのは、月森の思い掛けない言葉だった。
「リリに何かされたのか?」
 そしてそこまで言われ、今度は俺が驚く番だった。
「何でお前、そんな普通に納得してるんだよ」
 そう言って睨めば、月森はまたなんでもないように俺の方へと歩いてきた。
 近付くにつれて月森の顔を見上げる状態になり、俺は思わず椅子に座り込んだ。立った状態で月森との身長差を感じたことなど今までなく、今の自分が小さくなっていることを自覚させられる。椅子から月森を見上げることなら経験があり、だからこそ無意識にとった行動だったのかもしれない。
「いや、俺も驚いているんだが…。だが、音色を思い出せば、俺にはどうしてもそれが土浦の音色だとしか思えなかった」
 告げられる月森の言葉に、何故か俺は顔へと熱が上がっていくのを感じていた。
 確かに、月森は驚いた顔をしていたから、驚いたことは本当なんだろう。だが問題はそこじゃない。月森が俺の音色を聴き分けていたというその言葉が、俺の顔をこんなにも赤くしている原因だった。
 俺もたぶん、月森のヴァイオリンは聴き分けられると思う。だが、他人に対して無関心そうな月森が俺の音色を聴き分けているのだと知れば、それはなんとなく悪い気はしない。
「君の音色には感情があふれていてわかりやすいんだ」
 そして続いた言葉に、そういうことなのかと納得する。たぶんきっと気に入らない音色だからこそ聴き分けられたのだろう。
「それが俺の弾き方なんだから、仕方ないだろう…」
 いつもと同じ反論の言葉を口にして月森へと視線を戻せば、月森は何故か困ったような顔で俺から僅かに視線を逸らしていた。
 その、初めて見た月森の表情に心臓がひとつ大きく鳴った。そしてそのまま早鐘を打ち始めて、俺は咄嗟に鍵盤へと視線を移した。
 治まらないその心音が月森にも聞こえてしまいそうな気がして慌てて鍵盤へと手を伸ばし、俺はさっきまで弾いていたその曲を弾き始めた。
 弾きながらも月森の表情が脳裏に広がり、だが俺の指は間違うことなくその曲を奏で続け、そんな俺の演奏を、月森は出て行きもせずずっと傍で聴いていた。