TeaParty ~紅茶のお茶会~

『音色のお茶会』

オトメゴコロコイゴコロ1

「はぁ…」
 俺は鍵盤から指を下ろし、自分でも少し驚くくらいの大きなため息を落とした。
 原因はわかっている。自分が思う弾き方で弾いていないことと、だからといって出された要望通りにも弾けなかったであろうことを自覚しているからだ。
「う~ん……」
 そんな俺のため息に、それよりも大きく不服そうな声が重なり、俺はその声の主へと顔を向けた。
「もう少し、こう、おしとやかな感じがいいんだけどなぁ…」
 その声の主である日野はどこか遠慮がちに、だが自分の意見を曲げるつもりはないという真っ直ぐな目で俺の演奏にダメ出しをしてきた。
 放課後の練習室で、さっきから似たような会話を繰り返すこと数回。ひとつ前に出された少し控えめの演奏をしたつもりだが、やっぱり日野の要望には答えられていないらしい。
 優しくてやわらかくて控えめでおしとやかで…。弾く度に日野の注文は増えていく一方だ。
 俺たちは今、日野が持ちかけられたという文化祭での演奏会に向けて練習していた。アンサンブルメンバーに誘われて了承はしたものの、曲の解釈と弾き方の違いが練習をつまずかせている。
「こんなにロマンティックな曲なのに、土浦君の演奏は甘くないんだもん…」
 日野がほんの少し口を尖らせて言ったその言葉に、俺はもう一度ため息を落とした。言いたいことはわかるような気もするのだが、抽象的なそれをどう表現したらいいのかまだ掴みきれていない。
「ほら、恋する乙女心、みたいな感じで、ね?」
 そして更に理解不能な注文をつけられてしまう。
「乙女心って言ったって、俺にそれがわかるわけがないだろうが」
 わからなくて表現出来ないことはなんとなく悔しくもあったが、そこは男の俺にはどうしたってわからないだろうと思う。
「それもそうなんだけど…」
 そこは一応、理解してくれているらしい日野からそんな返事が返ってきたが、まだどこか納得のいかない顔をしていた。
「でも、恋する気持ちは女の子も男の子も関係がないと思うんだけどなぁ…」
 独り言のようなその言葉に、俺はどう返事をしたものかと悩む。関係がないと言い切ってしまえないのは俺がまだ恋をする気持ちというのを理解していないからであって、だからといって関係があるのかもしれないと認めてしまうのは心情的に許せない気がした。
 他の曲でのアンサンブル中にもメンバー同士で意見が合わなくて揉めることはあったが、日野と揉めることはあまりなかったように思う。いつだって揉めてばかりの月森に対してならばすらすらと出てくるような言葉も、今はなかなか出てこない。
『どうしたのだ、二人とも。この部屋には不協和音が漂っているのだ』
 お互い黙り込んでしまった静かな空間に、まさしくそれを破る声が響き渡った。
「「リリ」…」
 それはこの学院に住み着いているらしいファータという妖精の声で、どこか明るい日野の声と、思わずため息交じりな俺の声が重なった。
 ため息を吐きたくなるのも仕方がない。リリが目の前に現れたら最後、何事もなく平穏無事でなんていられないことは身をもって体験してしまっている。
「あのね、リリ聞いて!」
 そして日野がリリ曰く不協和音になっている原因を話し始めて、俺は仕方なく脇で黙ってそれを聞いていた。日野とリリの会話の中に割って入ったところで、リリはいつだって日野の味方で俺に勝ち目がないこともわかりきっている。
「土浦君がもう少し、乙女心を理解してくれたらいいのに…」
『わかったのだ。我輩に任せるといいのだ!』
 またそんな独り言のような言葉で説明を締めくくった日野に、思わず文句を言おうとしたその言葉は、急に俺を振り返ったリリの大きな一言で一音にもならずに遮られた。
『オトメゴコロを理解するには乙女になるのが一番なのだ!』
 そして続いたその言葉を頭が理解する前に、不可思議な音と眩し過ぎる光に包まれてしまった。
「なっ、何…」
 思わずつぶっていた目を開ければすでに光は消えていて、リリに文句を言おうとその姿を探せば、視界に入るリリがさっきよりも高い位置にいるような気がした。目をつぶったときに顔を俯かせたのかもしれないし、まず気にしなければいけないことはそんなことではなかったと思うのだが、何かが違うのだと本能が告げたそのことを無視することが出来なかった。
『オトメゴコロを理解して、素敵な音楽を奏でてほしいのだ。我輩、楽しみにしているのだ』
 文句が言葉になる前に、違和感が何か理解する前に、リリは余韻のような光だけを残してその場から消えてしまった。
「一体、何だったんだ…」
 そうつぶやいて、その自分の声にも違和感があった。
「土浦…君…?」
 そして聞こえた日野の声に振り返って、さっきリリに対して感じたのと同じことを感じた。日野は立っていて俺は座っているのだから日野のことを見上げているのは当たり前なのだが、いつもより日野の視線がほんの少し高いところにあるのはたぶん、錯覚ではない。
 そして日野がじっと俺を見ていることになんとなく居心地の悪いような気恥ずかしい気分になって視線を逸らすように俯きかけ、そして視界に入ってきた自分の足元に違和感を通り越した有り得ないものを見たような気がして、俺は勢いよく下を向いた。
「えっ、なっ、どっ、え…、えぇー?!」
 そこに見えたのは白いスカートを履いた自分の足で、ピアノの光沢ある表面に歪みながらも映っているのは女子の制服だとそう認識した瞬間、俺は思いっ切り叫んでいた。