想いが重なるとき2

『音色のお茶会』

想いが重なるとき2

 伝えるべきだろうか。
 心に秘めておくべきだろうか。
 伝わらないかもしれない。
 拒絶されるかもしれない。
 それでも想いは真っ直ぐに向かっている。
 たったひとりだけに。



 俺は自分の気持ちに気付いてからずっと迷っていた。
 この気持ちをどうするべきか、ずっと考えていた。
 なかったことには出来なくて、したくなくて、でもどうすればいいのか分からない。
「俺はどうしたいのだろうか」
 気持ちが定まらなくて、練習にも集中できない。
 一度、素直な気持ちのままにヴァイオリンを弾いたことがあったが、感情で弾くのは自分のスタイルではない。
 否定し続けたその弾き方に、簡単に切り替えることは躊躇われた。
 自分のこの音を否定するわけではない。
 ヴァイオリンが、ヴァイオリンらしい音を出すために必要なのは技術と正確さだと思ってきた。
 それでも、俺のヴァイオリンが、俺の感情でヴァイオリンらしい音を出すことも知ってしまったから。
 本当はこの気持ちを乗せて弾きたいと思うけれど、今での自分の演奏とあまりにも違いすぎるように思えて逆に不安になる。
 そして、この想いのまま弾いたら、想いに気付かれてしまうだろうかとも不安になる。
 気付かれたいのか気付かれたくないのか、伝えたいのか伝えたくないのか、答えの出ない自問自答を繰り返している。
「それでも、俺の気持ちは変わらないのにな」
 とりあえず練習をしようと、ヴァイオリンケースを持って教室を出た。

「誰もいないか」
 練習室はどこもいっぱいで、俺は屋上に上がってみた。昼休みの屋上は誰かいることも多いのだが、めずらしく誰もいなかった。
 ベンチに座りヴァイオリンケースを開く。見慣れた、弾きなれたヴァイオリンがそこにある。
 ここ数日の俺は迷った気持ちのままヴァイオリンを弾いていたように思う。音楽に対しての迷いならヴァイオリンは答えをくれるかもしれないが、俺の気持ちの迷いには、ヴァイオリンは迷ったままの音でしか答えてくれない。
 いい音が出るわけがない。いい演奏が出来るわけがない。
「答えを出すべき、というわけか」
 ヴァイオリンを構え、弓を弦にあてた。ピアノの音色が頭の中を流れていく。
 俺は気付いたあの日と同じように気持ちを乗せて弾いた。
 どうしたいのかはまだ分からない。けれど、この気持ちには嘘も迷いはないから。
 音色は、ごく自然に響き渡った。今までの自分の演奏では聴いたことがないような音色だったけれど、偽りのない、今の自分にしか出せない音色に思えた。
 このまま、この音が彼の元へ届いてもかまわない。いっそ、届いてしまえばいい。
 目をつぶると、いつも見せる、少し不機嫌そうな表情の彼が目蓋に浮かんだ。
 心に、ちくりとした痛みが走ったような気がした。
『……土浦……』
 弾きながら、俺は心の中で彼の名を呼んだ。
“キィー”
 その時、背後から扉の金属音が聞こえ、急に意識が引き戻された。扉の側面側にいたため、誰が来たのかは分からない。
 集中していた意識が途切れたこともあって、俺は演奏を止めて振り返った。
 コツコツと軽い靴の音が聞こえ、歩いてきたのは日野だった。
「あ、月森君。邪魔、しちゃったかな」
 申し訳なさそうに言った日野の手にはヴァイオリンケースが握られていた。
「いや…。日野も練習か?」
 答えながら、今、ここに来たのが日野だったことに何故か少しほっとしていた。
「練習…と思ったけど邪魔だよね」
「いや…」
 俺は日野の言葉に短い返事を返していた。
「…え」
 日野は意外そうに俺を見ていた。確かに今まで、邪魔か、と問われ、明確な答えを、それも邪魔じゃない、と答えたことはなかったのかもしれない。
 今の俺の演奏を、日野は聴いたのだと思う。扉を開けずとも、屋上の楽器の音が聴こえることは自分も知っている。
 それならなぜ日野は、扉を開けて屋上へ出たのだろうか。こんなやり取りになることは、わかっていたはずなのに。
「階段を上っていたらすごく綺麗な音が聴こえたの」
 まるで俺の疑問が聞こえたかのように日野はしゃべり始めた。
「屋上に出たら月森君がいてちょっと驚いちゃった。一瞬、誰が弾いているんだろうって思っていたから」
 言われて、俺は返事ができなかった。
「月森君のヴァイオリンを初めて聴いた時もすごくきれいな音でビックリしたけど、今はもっと、なんていうんだろう、優しくて、でもしっかりとしている音色だなぁって」
 上手く言えなくてごめんね、と、日野は小さく付け加えた。
 自分の変化に気付きながら、人に言われると気になる。
 人に言われれば言われるほど、自分の気持ちが隠しようのないものだと思い知らされる。
「月森君の音、変わったよね」
 そしてその一言が決定付ける。
「変わった、だろうか」
 つぶやくように言った言葉は、答えなんか言われなくてもわかりきったものだった。
 きっと、今の俺の演奏には、技術とはまた違うものが影響している。だから細かく指摘されるより、感覚的に抽象的な言葉で言われるほうが、それを裏付けられているように思えた。
 自分の気持ちに気付く。自分の気持ちを思い知らされる。
 俺はまた、どうしていいか分からなくなる。
 気持ちだけが膨らんで、行く先は分かっているのに、ふらふらと彷徨っている。