『峠のお茶会』
「逢瀬」
逢いたくて逢いたくて、淋しい。その日、拓海の携帯電話が鳴った。
拓海以外、涼介しかその番号を知らない、二人だけの、二人専用の携帯電話。
いつも一緒に居られない代わりに、二人がどんな時も繋がっていられるようにと、その携帯電話はそんな役割をしていたものの、いつだって着信があるのは拓海の仕事中か就寝時間中で、残されているのは涼介からの文字か声のメッセージだけだった。
けれどそれは涼介も同じで、拓海からの発信に対して、いつだって無機質な留守番電話へと繋がるためだけの言葉しか聞かせられなかった。だから拓海が残せるのもまた、ただ短い言葉だけ。
直接、話をする事はいつだって出来なかった。
医大生と社会人という立場で、お互いが忙しくてお互いが自由に出来る時間は限られていて、逢う事はもちろん、ただ電話で話をする事すら二人には難しかった。
二人が付き合い始めたのはつい最近のこと。夏に出逢って、惹かれて惹かれてずっと想いを隠していたのはお互い同じで、やっと想いを打ち明けて、相手の想いを受け止めて、そして二度と離れられなくなった。
逢えなくても心はいつでも繋がっていたし、気持ちが離れてしまう事はお互いに考えられなかった。まだ短い時間しか共には過ごしていないけれど、それは長年連れ添ったものに負けないくらいしっかりとしたものだった。
逢えない事も我慢が出来た。話が出来ない事も我慢が出来た。どんな事だって我慢が出来た。けれど、いつだって求めていた。いつだって、欲していた。
声を、ぬくもりを、存在そのものを。
求めて欲して、それでもやっぱり二人は我慢していた。お互いを想う心ゆえに。
そんな色々な想いを抱えた二人の間が、やっと今、直接的に繋がろうとしていた。
ディスプレイに表示される涼介の名前を見なくてもそれが誰からかかってきたものか分かる。拓海は急いで通話ボタンを押した。少しでも早く、拓海は涼介の声を求めた。
「涼介さん・・」
呼びかける自分の声に甘さが含まれてると拓海は思った。どうしようもなく、上ずったような甘い声。ただ名前を呼ぶだけなのに、その返事が待ち遠しくて胸が震える。恥ずかしさを感じる前に、求める自分を感じる。
電話をかけた涼介は呼び出し音が切れたとたんに聞こえた拓海の声に、込み上がってくる何かを感じていた。電話越しとはいえ耳元で直接聞こえた拓海の声はあまりにも久し振り過ぎて。
「拓海・・久し振りだな」
話し掛ける声に余裕がなくて、いつもよりも低く掠れてしまう。こんなにも煽られるのは何故だろうなどと、考えるまでもない。理屈ではなく、かといって欲望だけではなく、ただずっと求めていた、声。それは愛しい拓海の声。
そんな涼介の声を聞いた拓海も涼介と同じで、心の奥から湧き上がるものを感じた。声を聞いただけで、思い出してしまう。身体が熱くなってしまう。声以上のものを、求めてしまう。
「・・あっ・・・・」
そして拓海の口から漏れるようにつぶやかれた声はあまりも甘くて、涼介はそれだけで理性が崩れそうな自分を感じていた。
どれだけ我慢していたかを思い知らされる。どれだけ求めていたのか、どれだけ欲していたのか。名前を呼ぶ声だけで、呼ばれたその声だけで、こんなにも煽られている自分を感じる。煽られて、箍が外れる。
「拓海、逢えるか?」
声を得られた身体が、ぬくもりを、熱さを求め始める。浅ましいと思いながら、けれどその欲求を抑える事が出来ない。
「逢いたいよぉ・・」
切なく拓海の口から出たその言葉は、涼介だけを、涼介の全てを求めていた。
もう我慢なんて出来ない。全てを、欲しい。
まるでさらうようにして入った一室で、扉を閉めたと同時に繰り返されるキスの嵐。
触れるように、求めるように、全てを自分のものにするように、何度も何度も貪るキスに思考回路はついていかない。
抱きしめて、触れて、それだけでは足りないから、求めるように、与えるように口付けを交わす。
熱く火照る身体は更なる熱を求めるように抱きしめて離れられない。それでもまだ足りなくて、口付けはそのままに衣服を無造作に落としてゆく。
直接触れる肌が熱い。お互いの体温が熱過ぎて、まるで溶けてしまうかのようにさえ思えた。溶けて、そしてひとつになってしまいたい。
「拓海・・」
キスの合間にささやかれる涼介の声は、あまりにも久し振り過ぎた。
「涼、介さ・・ん・・」
そして返事を返すように切なく呼びかける拓海の声も、久し振りだった。
甘さと欲を含んだその声はお互いを煽り、熱を上げる。そしてその熱に更に煽られて、ただ求め合う心だけが残る。
足りないものを補うように、渇きを潤すように、抱きしめて口付けて、貪りあう。
「・・もう・・だ、めぇ・・・・」
立っている事が出来なくて、拓海は涼介の首に自分の腕を絡めながら途切れ途切れに声を上げた。
キスだけで、ぬくもりだけで、そして声だけでもう何も考えられなくなってしまう。もう、どうにもならなくなってしまう。
もっと、もっと…。早く…!!
ベッドのスプリングが二人分の重みをいっぺんに受けて音を立てた。
見つめて、その姿を全て目に焼き付けるように見つめ合って、お互いの瞳が感情のままに揺れた。
拓海の肌に、涼介の手と唇と舌が触れてゆく。体の隅から隅まで、どこも触れていない場所がないように、殊更ゆっくりと涼介は拓海に触れていった。
前に逢った時に涼介が付けた痕はもうどこにも残っていない。そんな拓海の肌に、少しの痛みを伴う快楽とともに赤い花を咲かせていく。ひとつ、ひとつ、またひとつ。
その度、拓海の口からは耐えられないような甘い声が零れた。
「ん・・ふぅ、ん」
けれどそんな、どうしようもなく上がってしまう声が恥ずかしくて拓海は手を口元へと運んだ。こんなにも求めているのに、こんなにもそのぬくもりが嬉しいというのに、恥ずかしがる仕草はいつまでたっても変わらない。
「拓海・・」
声を聞きたくて、涼介は口元を隠す拓海の手の平にやんわりと自分のそれを重ねてそっと引き寄せた。とたん、拓海はぎゅっとその手を握りしめた。
触れていたい、ずっと繋がっていたい、離したくない。
そしてそのつないだままの手を拓海はもう一度、口元へと近付けた。声を抑える為ではなく、涼介の指にキスをする為に。
小さなキスを涼介の指に贈る。いつも優しく触れてくれる指に、拓海の気持ちを高い高いところへ運んでくれるその指に、拓海は何度もキスをした。そして、ゆっくりと自分の口腔へ招き入れた。
「・・っ」
涼介は指先から伝わるその暖かな感触に一瞬、言葉を詰めた。そして拓海に触れていた唇も反対の手も、その動きが止まってしまう。
「ぅん・・涼、介さぁ・・ん」
涼介の指に舌を絡ませ、拓海はそのまま涼介の名を呼んだ。止まってしまった涼介のその行為をねだるような、そんな甘い響きがその声には含まれていた。
ただただ、欲しいと思う。どうしようもなく、求めてしまう。今まで逢えなかった時間を埋めるように、この先逢えない時間を耐えるために、今、全てを自分のものにしたいと思う。
涼介はそれまで以上の優しさと、それを超える激しさで拓海の事を追い上げ始めた。愛しい愛しい人に今出来る限りの愛情を注ぎたい。その愛を、確かめ合いたい。
「んっあぁん・・」
耐えがたい快楽が拓海を襲い、堪えられない甘い声がその口から上がり、そしてその身体はしなるような反応を涼介に返していた。
触れてくる指から、唇から、涼介の想いを感じる。触れる指から、唇から、拓海の想いを感じる。
その想いが身体に伝わって快楽に変わる。
快楽を煽るように涼介の唇は拓海自身を捕らえ、その温かい口腔で包み込む。
「やぁ―――――――っ」
その刺激に拓海は嬌声を上げた。ずっと触れられていなかった場所から、それは本当に突然で激しすぎる快楽が伝わり身体中を支配する。ほんの一瞬だけ襲われた恐怖もすぐに快楽の渦に巻き込まれる。
拓海の口から上がったその言葉が拒絶を表すようなものではないと涼介も分かっているから、その唇と舌で拓海の事をどこまでも追い上げる。
「拓海・・」
余裕がなくなった涼介の声が拓海の耳に届く。拓海の余裕は、もう始めからなかったのかもしれない。
「ひゃあぁ、・・っん、あぁ・・」
ひっきりなしに甘い声を上げ、拓海はねだるように、誘うように涼介に答えていた。
どこまでも優しくしたいと思う。同時に壊したいとも思ってしまう。優しく、激しく、そして焦らすように涼介は拓海に快楽を与えていく。
「ああぁ、もう、も・・う、あぁぁ――――――!!」
真っ白になるような激しい快楽が襲い、甘い嬌声を上げて拓海の身体は大きくはねた。
涼介は拓海の激情をその口で全て受け止め、そして全てを飲み込んだ。
「やぁ・・」
そのこくりという喉が鳴った音を聞いた拓海は小さく声を漏らした。快楽によって飛んでいってしまいそうな意識が不意に戻ってくる瞬間だった。
「嫌?」
意地悪な涼介の声が拓海の耳元で直接ささやかれる。涼介はそのままやわらかい耳朶にそっと歯を立て、濡れた舌を差し入れた。
いつまで経っても慣れない拓海の仕草が涼介には愛しくてたまらない。全身で求め、そして誘うような仕草の中にそんな羞恥を表す拓海が涼介の欲をかき立てる。
ふるふると、拓海は首を振って答えた。嫌ではない、嫌ではないけれど、だけど嫌。そんな両極端な答えの出なそうな思いで拓海はぎゅっと目をつぶったまま、ただただ首を振り続けていた。
与えたいのに、全てを与えたいのに。何もかも欲しいのに、それなのに。
「拓海」
涼介はいつまでも首を振り続ける拓海の頬をそっと両手で包み込み、そして優しく呼びかけた。
「涼介さぁん・・」
切なくなって拓海は目を開けた。目の前に見えるのは誰よりも求めた涼介の姿で、その瞳に映っているのは誰でもない拓海自身だった。
欲しいのに、全てを欲しいのに。何もかも与えたいのに。その想いはきっと同じはずなのに。
「オレを・・涼介さん、全部・・涼介さん、涼介さん・・」
その瞳を見つめたまま、拓海はゆっくりと口を開いた。その言葉は確かなつながりを持たなかったけれど、涼介には充分過ぎるほど理解できた。
全てを知りたい。全てを知って欲しい。全てを、あなただけのものにして欲しい。
そして、独占させて・・。
口付けから、また快楽は始まった。
激しい快楽の余韻が残る拓海と、激しい快楽を望む涼介と、お互いの想いを絡めた舌で交感し、そして飲み込んでゆく。
欲しいと思う気持ちはお互い同じ。熱さを求める気持ちは、止まる事を知らない。
快楽におぼれたいだけではない。このぬくもりを、お互いの想いを感じられるのは肌を合わせるこの行為が一番だから。今は、何よりも必要だから。
「はぁ・・。涼介さん・・」
快楽に支配された拓海の声はどこまでも甘く、その見上げる瞳は濡れて光っていた。
「拓海・・」
更なる快楽を求めた涼介の声は少し掠れていて、その見つめる瞳には隠しきれない欲が表れていた。
行為を先に進めるかのように、涼介の手は拓海の肌を下へ下へと滑り降りていく。そんな些細な動きにすら拓海は反応を返してしまう。
どこが感じる所かなど、もうとっくに分かっている。そのポイントを外さない涼介の巧みな動きに、拓海の声は更に甘く、そして止められなくなった。
涼介の唇はその自分の手を辿るようにゆっくりと拓海の肌を堪能していった。さっき付けたばかりの赤い痕を更に吸い上げ、更に痕を残してゆく。
さっきからつないだままの涼介の手を、拓海はもう一度自分の唇に近付けた。手首のやわらかいその皮膚を小さく吸い、拓海も赤い痕を残した。
それは所有の証。独占したいと思う気持ち。自分だけの、その証。
「くぅ・・」
涼介の指が拓海の奥まったその個所へと触れた。二人がひとつになれるその場所はまだ硬く閉ざされている。
心に湧き上がってくる期待と、そしてわずかな恐怖。
欲しいという気持ちと、溶けてしまいたいという願いと、けれど訪れる現実的な痛み。
身体に与えられた痛みはそれ以上に与えられる快楽でどこかへ行ってしまうけれど、心に残る痛みはいつまでたってもぬぐえない。それが分かっていて、それを分かっているからこそ、今はずっとつながっていたいと思う。ぎりぎりまで、二人に許される時間のその瞬間まで。
ゆっくりと解されていくその場所から伝わる感覚に拓海の理性は浸食されていった。もう、求める心しか残らない、全てを欲しいという気持ちしか。それが拓海の全て。
涼介の限界もそこまでだった。拓海のぬくもりを熱を全てを感じたい。そして感じさせたい。
「拓海・・」
耳元に直接ささやきかける涼介のその声が合図のように、涼介はゆっくりと拓海の中へと進んでいく。
「涼、介、さ・・ん」
途切れ途切れに返事を返し、そしてすがりつくように涼介の背に腕を回す。
強烈な圧迫感に襲われ、体に余計な力が入ってしまうのもほんの少しの間だけ。涼介はその中を押し進み、拓海はその中へ招き入れる。
「オレを感じる?」
全てを収め、拓海の息が落ち着くのを待ってから涼介がささやいた。
「涼介さんが、いっぱい・・」
素直な拓海の一言に涼介の理性も箍も何もかもがはずれる。
あとはもう、求めて求めて貪って自分だけのものにしたいと思う。自分の腕の中だけに閉じ込めて、その濡れて輝く瞳に自分だけを映して、自分の瞳にも、もう他は何も映したくない。
溶けてしまえたらどんなにいいだろう。ひとつに溶けてしまえたらいいのに。
永遠に、ずっと、お互いを感じていたい。確かに存在する想いと一緒に、ぬくもりと一緒に、ただ傍にいるだけだっていい。
ただ今は、感じたいと思う。涼介を、拓海を、お互いを、自分自身を。
「・・ふぅん・・あっ、あぁ、っん・・」
涼介に揺らされた拓海はその度にとろけるような甘い声を上げ、そして合わせるように自らも揺れ始める。
拓海の中に涼介があふれ、そして涼介は拓海に包まれる。激しく、けれど優しく、その行為は続く。
「拓海っ」
快楽にのけぞるその首に口付け、それでも足りなくて涼介は噛み付くように唇を合わせて上がる息までもを自分のものにしようとする。
塞がれる呼吸が苦しくて、だけど触れる唇も絡まる舌の感触も、何もかもが気持ちよくて拓海はその口付けに答えていた。
熱くて、熱くて、本当に溶けてしまいそうなくらい、熱い。
二人が目指す頂上がちらりと見え始めて、けれどその瞬間よりも今を手離したくなくて快楽をやり過ごす。それは辛いけれど、でもまだこのままでいたいから。まだ、もう少し、ちょっとでも長く・・。
「ああぁ――――、涼介さん、涼介さんっ」
その我慢も限界で、拓海は何度も涼介の名を呼んだ。ギリギリのところで我慢して、ぎゅっとしがみつく。
「拓海・・愛してるよ・・」
今日初めて告げるその言葉とともに、涼介はそれまで以上に深く深く拓海を追い上げ、そして抱きしめた。
「オレも、好き・・大好きっ・・」
更にしがみついて返事を返した拓海はそこで本当に限界だった。
「もぅ、イ・・ク・・・・ん、あ――――――っ」
激し過ぎる快楽の中、拓海は嬌声を上げて達した。瞬間、涼介を受け入れている場所にきゅっと力が入った。その激しい締め付けが快楽となって涼介の限界を誘った。
「拓海っ」
愛しさを込めてその名を呼び、涼介も拓海の中へとその激情を注いだ。
涼介が拓海を抱きしめ、そして拓海は涼介にしがみついた。まだ息が上がっていて苦しいくらいなのに、それよりもぬくもりを求めていた。離れたくなくて、ただただ抱きしめていた。
その呼吸が落ち着いてきた頃、涼介は少しだけ腕の力を緩めた。拓海はまだぎゅっとしがみついたままだった。
「拓海、キスさせて・・」
髪にそっと指を絡ませ、なでるように梳きながら涼介はささやきかけた。
「涼介さん・・」
力いっぱい回していた腕を解きながら拓海は小さく微笑んで涼介を見つめた。涼介は優しく見つめ返してくれる。そして言葉どおりに唇がゆっくりと触れて、何度も何度もついばんでゆく。
知らず知らずにあふれた拓海の涙にも涼介は口付け、そしてそのあふれ出す目元にも優しくキスを落とした。
悲しい訳ではないのに、何故、涙が出るのだろう。
ずっとこのままでいたいと思うのは、わがままなのだろうか。
次に逢う日を約束できないなら、このまま時間が止まってしまえばいいのに。
「涼介さん・・」
拓海はそっと自分から涼介の唇に触れた。
「拓海・・」
触れて、そのまま口付けは深くなる。ゆっくりと、想いを込めて。
愛しくて愛しくて、切ない。
逢瀬
2001.10.19