TeaParty ~紅茶のお茶会~

『音色のお茶会』

空を渡る船 *

 厳かに伝えられるその言葉が、永遠の約束になる

 ふわりと意識が上昇して身じろぐと、耳元から微かな声が聞こえる。
 心地よいその響きにもう一度、意識を沈ませようとして、ハッと覚醒した。
 腕の中に土浦を抱き締め、俺はソファで寝ていたらしい。その状況はわかったのだが、そこに至る経緯がすぐに思い出せなくて、まだ覚醒しきらない記憶の扉をゆっくりと開けていく。
 そうだ。クリスマスコンサートを終え、いつもならそのまま年始まで過ごすウィーンから、今年は少し無理をして大晦日に日本へ帰ってきた。それが今日のことで、有無を言わさず土浦の家に連れて来られ、このソファで話をしていた。
『無理するなよ。少し寝たほうがいいぜ』
 そう何度も言われたことは覚えているが、土浦と話していたくて眠いのを我慢していたはずだ。いつ寝てしまったのだろうか。
 そっと腕の中の土浦を抱き締め直せば、軽く身じろぎしたものの起きる気配はない。気配に敏い土浦にしては珍しい。人の心配ばかりしていたが、土浦もこの年末はいつも以上に相当忙しかったはずだ。
 職業柄、年末年始は毎年忙しい。クリスマス、年越し、カウントダウン、ニューイヤーとコンサートが目白押しだ。それを嫌だと思ったことはなく、子供の頃からそんな両親や祖父母を見てきたから慣れていたし、淋しいと思うこともなかった。
 だが、年始は休みになったと言う土浦の言葉を聞いたとき、初めて一緒に過ごせないことを淋しいと思った。少しくらい、世間一般のらしいことをしてみたいと思った。
 土浦との関係自体が一般の常識から少し外れてはいるのだが、だからといって恋人らしく過ごしてはいけないなんてことはない。
 イベント事にはお互いあまりこだわってはいないが、特別な日だからこそ一緒に過ごしたいと思う気持ちは俺にもわかる。
『いつか休みが重なったらさ、初日の出、見に行こうぜ』
 いつだかまるで冗談のようにそんなことを土浦は言っていたが、日の出の時間すら何時間と離れた場所に居ることの多い俺たちにとって、一緒に見る初日の出はとても特別なものになるはずだ。
 帰国が今日になった時点で初日の出は延期と土浦に言われていたが、出来るならば俺は見に行きたいと思っていた。日の出まではまだまだ時間があるし、何も遠くまで行こうとしているわけではないのだから決行は可能ではないだろうか。
 思い付いたプランを早く土浦に提案したいのだが、気持ちよさそうに寝ている土浦を起こすのは忍びない。それにこのぬくもりを手放すのももったいない。
 もっともっと、このぬくもりを感じていたい。そう思った瞬間、俺は土浦にキスをしていた。
 起こさないようにそっと、触れるだけのキスをする。唇に、頬に、瞼に、額に、もう一度、唇に。
 本当に珍しく、土浦は起きる気配を見せないのだが、そうなると逆に気付いて欲しくなり、無防備に薄く開かれた唇の隙間に舌先を忍び込ませた。
 歯列をなぞれば、そこはゆっくりと開いて俺を迎え入れてくれる。すぐに触れた舌先は熱く、軽くつついても明確な反応は返ってこないが、逃げることもせず俺の好きにさせてくれる。
 それに気をよくして土浦の口腔内を思う存分堪能していると、さすがに息苦しくなったのか鼻にかかるように小さな喘ぎが合わせた唇の隙間から漏れ、俺は空気を吸わせるためにほんの少しだけ唇を離した。
「ぅん…、ゃ……」
 途端、反応のなかった土浦の舌先が追いかけるように伸びてきて、俺のそれに絡んでくる。それはまるで離れてしまうことを嫌がっているようで、俺はすぐに舌を絡め返して口付けを深いものへと変えた。
 背に回された手と、指を絡めるように握り締めていた手の、両方の手に力が込められる。ぎゅっと、まるで離さないと言われているような力の強さに、嬉しさと喜びと、そしてほんの少しの切なさを感じずにはいられない。
 離れて過ごすことが当たり前で、いつも一緒に居られないことが当たり前で、そんなことはお互いわかっていて慣れていて、それでも本当はいつだってずっと傍にいてほしいし、ずっと傍にいたい。
 逢えなくて淋しいなんて口には出さないが、縋る手の強さに、口には出せない本音が隠れているようで切ない。
「れん…」
 いつから目を覚ましていたのか、土浦のうるんだ目はじっと俺を見つめていた。
 土浦から先に、苗字ではなく名前を呼んでくれることはめずらしい。普段は呼ばれない名前だけに、そこに込められた気持ちが痛いほどに伝わってくるような気がする。
 もう一度、唇を寄せれば見つめる瞳は閉ざされ、唇が誘うように開く。触れた瞬間、まるでもっととねだるように、背に回された腕にぎゅっと引き寄せられた。
 理性の、箍が外れる。

 久し振り、という言葉だけでは足りないくらいに、心が、身体が、土浦を求めていた。
 少し早急に身体を繋ぎ、俺は包まれるあたたかさとそこから伝わる快楽に気持ちは逸ったが、 土浦にとっては本来、受け入れるべき場所ではなく、ぎゅっとつぶられた目の強さで眉間にはしわが作られ、更に強く歯を噛み締めているのであろうその表情から伝わるのは苦痛だった。
 本当ならばもっと時間をかけて慣らすつもりだったのだが、当の土浦がそれをさせてくれなかった。
 いや、それはただの言い訳か。だが、声にならない声でもっと、早くとねだられ、それを拒むことが出来るほど俺はいいやつではない。
 せめて少しでも落ち着くまではと、そっと髪を撫で、寄せられた眉間のしわに繰り返しキスを落とせば、少しずつ顔のこわばりが解けていった。
「大丈夫か?」
 開いた目元の涙を拭うように指を這わせると、ん、と小さな返事が返る。その、どこか幼い反応が俺の欲を煽る。
 ついばむようなキスを繰り返せば、じれたのか無意識なのか土浦の舌が俺の唇をかすめ、繋がったその場所が甘く締め付けられた。
 これ以上の我慢はもう出来なくて、俺は思う存分、土浦を味わうことにした。

 ソファから風呂場、ベッドへと場所を移し、俺たちは逢えなかった時間を埋め合った。
 心が満たされたと同時にすっかり目が覚めて元気になった俺とは対照的に、土浦はうつらうつらと夢現を彷徨っている。
 初日の出を見に行こうと言うはずだったのだが、こんなにも土浦を疲れさせてしまってはそれを口に出せない。
 仕方ないと思いながら土浦を抱き締め直せば、動いた拍子にお腹がグルグルと鳴ってしまった。そういえば家に着いて食事をとってから、気付けば結構な時間が経っている。
 空腹なのだと気付けば空腹感はさらに増し、立て続けに鳴り続けてしまうことがなんだか恥ずかしくて、抱き締めた土浦の腕をそっと緩めた。
「ん…、何…?」
 俺の身動ぎに気付いた土浦が眠そうな目を開け、まだ定まっていない視線を俺へと向けてくる。その視線を受け止めながら、別に離れようとしている訳ではなくて、と心の中で言い訳をする。
 途端、今までで一番盛大にグーと大きな音が鳴ってしまった。
「くくく…、くく……ははは。いい音」
 腕の中で肩を震わせ始めたかと思いきや、土浦は声をたてて笑い始めた。
「身体ってホント、正直だよな。ひとつ満たされると、次が足りないって言い出すんだ」
 あまりにも楽しそうに笑われて、恥ずかしいやら情けないやら、穴があったら入りたい気分で笑う土浦を見ていることしか出来なかった。
「少し早いけど、夕飯にするか。支度は出来てるから、温め直せばすぐ食べられるぜ」
 ひとしきり笑い、笑い過ぎて目にうっすらと涙を浮かべた土浦はそう言って起き上がると、不意に顔を逸らしてしまった。それが不思議で俺も起き上がり土浦へと視線を向けるが、服を着始めた土浦はこちらを振り返る気配がない。
 怒らせてしまっただろうかと思う。土浦は俺が疲れているだろうからとあれこれ考えてくれているのに、俺は自分の思うまま行動し、土浦を思いやれていない。それなのに空腹を訴え、疲れている土浦に支度をさせようとしている。
「す…」
 すまないと、そう口にしようと思い、だが不意に見えた土浦の耳が真っ赤に染まっていることに気付いて言葉は止まった。
 怒ってはいない? もしかして、照れている? 何故?
 そう考えて、不意に夕飯の支度は出来ていると言った土浦の言葉がよみがえる。
 空港から直接帰ってくると決めていたのだから、時間的に夕飯の支度など済ませておかなくてもいいはずだ。なのに何故? まさか、こんな状況になってもいいように、とか…。
 そうなのかもしれないと、そう思ったら愛しさがあふれてきた。
 着替えを終えた土浦が、俺の顔を見ずに部屋を出て行こうとする。
「梁太郎」
 声を掛けても振り返ってはくれなかったが、その横顔が真っ赤に染まっていたことは俺にもわかった。

 すぐに追いかけても顔を隠してしまいそうだったから、俺はゆっくりと服を着てからキッチンへと向かった。
 キッチンに立つ土浦の顔はいつも通りにもどっていて、それは少し残念な気もしたが、真っ直ぐ俺を見てくれることは単純に嬉しかった。
 そのまま土浦の傍まで歩み寄り、包丁や火の危険がないことを確認して、そっと後ろから抱き締めた。
「なんだよ、すぐに出来るから座って待ってろって」
 土浦も背後から近付く俺の気配を感じていたのだろう。驚くこともせず、回した腕を軽くたしなめるように叩いてくる。
「やっぱり明日は初日の出を見に行こう。遠くではなくてもいいし、有名な場所でなくてもちろんいい。その瞬間が綺麗に見える場所でなくてもいい。ただ梁太郎と一緒に、日の出が見たいんだ」
 新しく始まる一年の、最初の日の出。毎日、繰り返す日の出と日の入りに特別なんてないのかもしれないが、それでも一年の最初の日だからこそ、初めて一緒にいられるからこそ、二人で一緒に見たいと思う。
「ああ。俺も本当は行けたらいいなって思ってたんだ。ずっと、蓮と一緒に見たいって思ってた…」
 俺の手に重ねられた土浦の手を、逆の手でぎゅっと握りしめる。
 肩越しに顔を近付ければ、察した土浦が振り返り、そのままキスを交わす。触れるだけのそのキスに欲を煽られることはないが、それでも離し難くて、俺たちは何度も何度もキスを繰り返した。

 そして、一月一日の早朝、俺たちは少し歩いたところにある高台の公園へと向かった。
 横浜には有名は初日の出スポットがいくつかあるが、あえてそこは避けた。有名な場所ともなれば人ごみは避けられず、だから俺たちは二人で静かに見られる場所を選んだ。
 まだ薄暗い道を、二人で並んで歩く。静寂な空気に自然と会話が途切れ、だがその静けさが不思議と心地いい。
 公園に着けば日の出を待つ人はまばらで、穴場だったなと土浦は笑っていた。
 歩いているときから寒かったが止まれば更に寒く、昼間と同じ格好で行こうとした俺に、とにかく着込めと真剣な顔で言った土浦の言葉は間違えではなかったと、その顔を思い出せばなんだか楽しくて心はあたたかくなる。
 この寒さではヴァイオリンを弾くことなど出来はしないが、この冷たく静かな空気の中で弾いたら、いったいどんな音色になるだろうと想像してみる。
 まだ土浦に出会ったばかりの頃の俺ならば、この空気に似た音色を奏でていたような気がするが、今はこの空気をあたためるような演奏をしたいと思う。
 そんな音色を、土浦がいるからこそ俺は奏でられるようになった。共に、奏でたいと思う相手に出会えたことで、俺の音色は変わることが出来た。
「ヴァイオリンを弾きたいな…」
 小さくつぶやけば、土浦はそれに苦笑いで答えた。
「さすがに寒過ぎて弾けそうにはないが」
 苦笑いの意味を察して言葉を続ければ、だよなと笑われたが、土浦はその表情をやわらかなものへと変えた。
「でもちょっと、わかる気もする。俺もピアノ弾きたくなった」
 見つめ合って、二人で小さく笑い合う。
 心の中に、初めてのリサイタルで弾いた自分の曲が浮かんでくる。今、この空気の中で弾くとしたら、あの曲がいい。
 
 曲に思いを馳せながら静かに街を見下ろしていれば、薄暗かった景色が白々と明るくなっていく。
 その街並みの隙間から、不意にオレンジ色の光があふれ出し、世界を一気に染め上げる。
「…っ」
 言葉は何も出てこなかった。ただただ、その光に圧倒された。
 無意識に伸ばした手は土浦に触れ、たぶん同じように伸ばしてきていたのであろうその手を、お互いに握り締めた。
 手袋越しのそれはどこかもどかしい感じもしたが、それでもその手から、お互いの気持ちが伝わっているような気がする。
 太陽がその丸い姿をすべて見せ、辺りの色と同化し始めるまでずっと、俺たちはただ黙ってお互いの手を握り締め、まばゆい空を見つめていた。

 辺りが明るくなると、さっきまでの静けさとは一転、辺りは人が増えたわけでもないのに賑やかになったような気がする。
「一緒に見ることが出来て、本当によかった。ありがとう」
 俺は隣に立つ土浦をまっすぐに見つめた。
「俺も、一緒に見られて嬉しかった。無理して帰ってきてくれて、ありがとう」
 少し照れたように、土浦も俺を見てくれている。たったそれだけのことなのに、心が震えるように高鳴る。
「今年は、すごくいい一年になる気がする」
 笑顔でそう言ってくれる土浦の顔が、昇ったばかりの太陽よりもまぶしい。
「ああ、そうだな。いい一年にしよう」
 こんなにも最高な一年の始まりを迎えられたのだから、いい一年にしなくては罰が当たってしまいそうだ。
「なる、じゃなくて、しよう、か。月森らしいな。そうだよな…。じゃあ、改めて」
 少し驚いて、また笑って、そうやってコロコロと表情を変えた土浦は、最後に真剣な表情を俺に向けてきた。
「今年も、これからも末永く、よろしく…な」
 真剣な表情のまま告げられたその言葉は、ちょうど土浦が太陽を背にしていたこともあり、厳かな響きで俺の心に届いた。
「永遠に?」
 永遠なんて、そんな言葉は夢のように儚いものだと知っていても、それでも使わずにはいられないのはどうしてだろう。
「永遠に。っていうか、ずっと」
 土浦もその言葉の儚さを知っているからだろう。そんな風に言って笑っている。
「こちらこそ、よろしく。今年も、来年も、その先もずっと、ずっと、共にあろう」
 すぐ傍にいられなくても、一緒に過ごせなくても、ずっと、ずっと。
「ああ、ずっとな」
 新しい年が始まる。土浦と共にある、素晴らしい一年が。この先もずっと、新しい年をいくつも重ねていこう。

 いつもよりも明るく見える太陽が、俺たち二人を見守るようにやさしく輝いていた。



空を渡る船
2015.12.26
コルダ話90作目。
海空シリーズの番外編で大晦日話の続きです。
年始話を書く予定が、年末を引きずった微裏話になりました^^;