TeaParty ~紅茶のお茶会~

『音色のお茶会』

海に浮かぶ雲40

 行く筋ものライトが月森にのみ当てられ、その姿はまるで光の中に浮かんでいるように見える。
 ゆっくりと右手が動き、弦の上を弓がすべるように落ちていく。優しくも切ないヴァイオリンの旋律が、その静まりかえった会場内に響き渡る。
 それはまるで暗闇に差す一筋の光のような音色だと、俺は思った。
 まるで歌うように響くヴァイオリンの音色に心が奪われ、数小節後にはピアノを合わせなければいけないとわかっているのに、まるで息をするのを忘れてしまったかのように身動きすら出来ない。
 月森の演奏はピアノで初めて聴いたあの日のように俺を圧倒し、心をひどく揺さぶる。練習で何度も合わせ、聴き慣れたはずなのに涙が込み上げてくる。
 俺が弾き始めなければいけないタイミングはすぐそこまで迫ってきているのに、変な力が入って指が震える。
『土浦…』
 あふれそうな涙と震える指に焦り始めたとき、不意に俺の名を呼ぶ月森の声が聞こえたような気がした。
 それは月森の声ではなく、月森が奏でるヴァイオリンの音色だった。
 その声は、その音色は焦り震える心を自然と落ち着かせてくれる。そして俺の指はいつものように鍵盤の上を滑りだした。
 重なる音色が切ない。月森の奏でるヴァイオリンの音色が、切なくて心が痛い。
 音色に乗って月森の心が伝わってくる。だから俺の心も音色に乗せて月森へと届ける。
 例えそれがあるべき場所ではなくとも、俺はその場所にあることを後悔なんかしていない。誰に何を言われようと、月森ただ一人を想っているのだと…。
 切なく、でもどこか穏やかに音色が重なり、そして優しい余韻を残して曲が終わった。


 一瞬、場内に無音の時間が流れた。そしてそれが割れんばかりの拍手と歓声に変わり、会場を震わせる。
 まるで大きな波のような歓声に飲み込まれ、耳が聞こえなくなったのではないかとさえ思う。
 鍵盤に指を置いた体勢のまましばらくピアノを見つめていると、こちらを振り返った月森が微笑みを向けてくる。その満足そうな笑顔に、弾き終わって拍手を受けているのだとやっと気付いた。
 俺も笑顔を返しながら椅子から立ち上がり、月森の傍へと歩み寄る。揃ってお辞儀をすると、拍手はまたよりいっそう大きくなったように感じた。
 本当にたくさんの温かい拍手を聞いていると、月森のすごさというものを改めて感じる。そして、その月森と並び、同じ舞台に立って演奏したのだと、今頃になって俺は実感していた。


 鳴り止まない拍手に何度も何度も挨拶を繰り返し、そしてリサイタルは幕を閉じた。


 まだ興奮冷めやらぬといった感じの観客に見送られ舞台を後にし、このリサイタルに関わった人たちからたくさんの言葉を受けながら楽屋へと移動する。
 楽屋に戻れば聴きに来てくれていた親友たちが集まり、ここでもやっぱり嬉しいくらいの「おめでとう」という言葉をもらった。
 そして来客も落ち着くと、楽屋には月森と俺の二人だけになった。
 自然と目が合い、そしてお互い、満足したような、ほっとしたような笑顔になる。
「リサイタルの成功、おめでとう」
 そういえばまだ、俺からは言ってなかったなと思いそれを口にする。そして、月森に伝えたかったことがあるのだと思い出す。
「それと、ありがとう」
 言葉にしてしまうとなんだかとてもちっぽけなものに聞こえてしまうかもしれないが、これは俺の心からの想いだった。
 ずっと、この気持ちを月森に伝えたかった。
 何が、という訳ではない。きっと月森の全てに感謝しているのだという、この気持ちを言葉にして伝えたかった。
「土浦…」
 俺の言葉に少し驚いたような瞳が返される。
「このリサイタルの成功は、君なしではあり得なかったと俺は思っている。もし君と一緒の舞台ではなかったらあの曲は生まれていなかったと思うし、演奏を終えた今、こんなにも満ち足りた気分になったのは初めてだ。だから、お礼を言いたいのは俺のほうだ」
 真っ直ぐに見つめられ、真剣な顔でそう言われると、胸の辺りが少しくすぐったい。
 そう言ってもらえるのは素直に嬉しい。伴奏を引き受けてよかったと思う。でもその伴奏に俺を選んでくれたのは月森だ。
「でもやっぱり俺はお前に感謝しているんだ。それこそ、お前に逢えたことも含めてさ」
 違う道を歩みながらも同じ音楽を作り上げることの出来る月森の存在は、他の誰かに代えることなんて出来ない。
 何があっても、どんなことが起ころうとも、月森の存在を感じているだけで乗り越えていかれるような気がする。
「だから、ありがとう」
 俺を選んでくれたことに。
「それと、これからもよろしくな」
 そう言って笑顔を向ければ、月森の目は嬉しそうに細められた。
「俺からも言わせてくれ。ありがとう。そして、これからもよろしく」
 微笑む月森の顔が不意に近くなり、耳元に吐息がかかる。
「公私共にな」
 嬉しそうなささやき声が、俺にだけ聞こえた。


 共に音楽を奏でる者として。そして、いつも隣にある者として。



海に浮かぶ雲
2009.3.31up
(2008.10.28-2009.3.19)
コルダ話34作目。
初の長編話になりました!!
社会人なLR話もやっと完結です。
って、こんな終わり方ですが…^^;