TeaParty ~紅茶のお茶会~

『音色のお茶会』

日曜日の屋上で

 仲が悪い二人を演じているわけではない。
 以前と変わらない言い合いも自己主張も、お互い譲り合うことはしない。
 それは認めていないわけでも嫌いなわけでもなく、むしろ技術も実力も認め合っているし、その音色もその音色を奏でる本人にも惹かれ合っている。
 自分と同じだから惹かれるのではなく、自分とは全く違うから、違うものを持っているからこそ惹かれる。
 俺達は、きっとそんな恋愛をしている。


『今日の部活、早く終わった。屋上は風が気持ちいいな。』

 土浦からそんなメールが届いたのは、まだ練習を始めてから30分も経っていない頃だったけれど、携帯は脱いでいた上着のポケットに入っていたため気付いたのは着信から1時間後だった。
 いつもは気にならないその携帯の存在に今日はやけに気になって、練習の合間にポケットから取り出したことが幸いした。
 もしもこの時間に見ていなかったら、気付くのは更に1時間以上後だった可能性が高い。
 土浦が部活で学校に来ていることは最初から知っていたし、俺が練習室を使っていることも土浦は知っていた。
 けれど、学校で逢う約束はめったにしたことがない。
 同じ敷地内に居ることが分かっていても逢いに行くことはなかったし、逢いに来ることもなかった。
 登下校時も昼休みも、特に待ち合わせも約束もしたことはない。逢える時間や逢える場所を考えて行動をしていたことはあったけれど、それでも学校で逢うことはやっぱり少なかった。
 だから、こんな風にメールが来ることは予想していなかった。
 それでも、逢えたらいいと、心のどこかでいつも思っていた。

 練習を切り上げ、俺は屋上へ向かった。
 短い言葉に直接的な単語は書かれていないけれど、いや、書かれていないからこそ俺の心は、足は急いでいた。
 暖かな日差しと心地よい風に包まれる屋上へと続く扉を開け、辺りを見渡すが人の気配がない。
 もう、帰ってしまったのだろうか。
 花壇の草花が風に揺れる音と、グラウンドからの歓声と思しき声だけが風に乗って耳に届く。
 その中に、風に煽られた紙が上げるバサバサという音を頭上から聞き取って、俺は視線を上へと向けた。
 出入り口のため少し高くなったその場所に微かに人影が見え、俺はその場所へと続く階段を登っていく。
 登り切ってすぐ、まるで鞄を枕にするようにして眠る土浦の姿を見つけ、俺は自然と表情が緩むのを自覚する。
 傍まで歩み寄り、そっと腰を下ろす。座っていた姿勢から倒れたのか、少し不自然な体勢で眠っている。
 規則正しい寝息を立てるその寝顔は、起きているときにはあまり見せることのない柔らかな表情をしている。
「土浦…」
 その頬をそっと撫でるように包み込みながら、声を掛ける。
 眠ってしまうほど待たせてしまったのだと、そう気付いて申し訳ない気持ちになると同時に、それでも待っていてくれたのだと身勝手に思って嬉しくなる。
「梁太郎…」
 耳元にそっと呼び掛けると、窮屈そうなその体勢で身動ぎ、瞼が小さく揺れた。
「……ん…」
 小さな呟きとともに瞼がゆっくりと開く。視線が定まらずゆらゆらと揺れる瞳を覗き込み、その瞼にそっと唇を寄せた。
「…れ、ん…」
 その気配を感じたのかもう一度瞼が閉じられ、寝起きの所為か少し掠れた声が耳に届く。
 何かを探すかのように伸ばされた手を握り締めながら、瞼に、おでこに、頬に、そして唇にそっと触れるだけのキスを落とす。
「…ゃ、…れん……ぅん…」
 まだハッキリと目覚めていないらしい土浦の唇から不満めいた声が漏れ、もう一度ゆっくりと触れると、今度はため息のような吐息が漏れ聞こえた。
 その声に、その表情に、煽られる。
 深く深く口付けると、指を絡めた手がその息苦しさに耐えかねるかのように強く握られた。
「っんーーーーっ、って、お前…何してるんだよ」
 握り締めた手とは逆の手で押され、不意に唇が離された。
 触れるか触れないかのそんな距離で、睨むような瞳が真っ直ぐに俺を見ている。
「何って、キスだ」
 その瞳をこちらも真っ直ぐに見つめ返しながらそう告げると、瞳の力が更に強くなる。
「君の寝顔に誘われた」
 そして音を立ててもう一度触れる。
「寝込み襲うなんてサイテーだな」
 相変わらず睨むような視線は変わらないのに、少し照れた風な赤い顔をしていて、そんな表情を目の前で見せられた俺は嬉しくなる。
「待たせてしまったから、お詫びの印だ」
 メールが来たことも、こうして待っていてくれたことも、本当に嬉しい。
 そして今、君とこうしていられることが幸せだと思う。
「詫びになってねぇよ」
 言いながら身体を起こそうとしたので、握ったままの手を引いてそれを助けた。
 固い地面とその体勢が辛かったらしく、思い切り伸びをしようと挙げた手に俺の手が持っていかれ、仕方なくその手を離した。
「楽譜見てたら、この陽気に誘われた。っと、楽譜は…」
 暖かな陽を注ぐ太陽を見つめたその視線が、我に返ったように辺りを見回している。
 そういえば、風に煽られる紙の音で俺は土浦のことに気付いたのだった。そう思って視線を地面に落とすと、土浦が枕代わりにしていた鞄の下に紙の束を見つけた。
「これか」
 まるで飛ばないようにと置かれた鞄を持ち上げて紙の束を引き出すと、それはやはり楽譜だった。
「あぁ、なんでそんなところに…」
 振り返り、差し出した楽譜を受け取った土浦は不思議そうな顔をしている。どうやら自分で置いたわけではないらしい。
 そう気付いて、ふとさっき階段ですれ違った人のことを思い出した。とすると彼女がこの楽譜を…。
「なんだよ、険しい顔して。俺がこの曲を弾くのが変だとでも言いたいのかよ」
 無意識に眉間に皺が寄っていたらしい。
「いや…違うことを考えていた」
 答えながら、言われたその言葉の意味を考えるようにさっき渡した楽譜を思い出す。頭の中で流れ始めたその曲が土浦らしいかと問われれば、決してらしくない曲だったのだと今更ながらに気付く。
 俺はその楽譜のことよりも、俺がここに来る前に彼女がこの場所に来ていたであろうことのほうが心に引っかかっていたようだ。
「君らしい曲ではないかもしれないが、でも君はそれを弾きこなすのだろう」
 とはいえ、きっとまた俺は君の演奏に文句を付けてしまうのだろう。でもそれは、俺には決して弾くことができないその解釈への憧れと、君ならばもっとという、期待にも似た想いがあることに君は気付いてくれるだろうか。
「言われなくても、弾いてやるさ」
 そう言って向けられる挑戦的な瞳は土浦らしくて、俺は訳もなく嬉しくなった。
「それなら是非、聴かせてもらおうか」
 さっき離してしまった手をもう一度握り直し、そのまま立ち上がる。
 どんな曲でも構わない。この世界にある全ての曲を、土浦が奏でるそのピアノの音色で俺は聴いてみたいと思う。
「って、今からかよ」
 俺が立ち上がった意図を察したのか、驚いた表情で見上げてくる土浦を引っ張るように立ち上がらせる。
「今からだ」
 君の音色に触れていたい。君の音色に俺の音色を合わせたい。いつだって俺は、君の音色を欲している。
 そして…。
「…っん…」
 仕方ない、といった風に立ち上がった土浦を、引き寄せてそのままキスをする。
 君に触れていたい。君と触れ合いたい。いつだって俺は、君のすべてを欲している。
「行こう」
 握り締めた手はそのままに、俺はその手をそっと引いた。
「ったく…」
 短い文句のような言葉とは裏腹に、握った手を振りほどくでもなく土浦は俺に笑顔を向けてくれた。
「お前のヴァイオリンも聴かせろよ」
 その言葉に、俺も土浦に笑顔を向ける。
「あぁ、もちろん」
 土浦の奏でる音色だけが、俺の心を動かす。俺の奏でる音色は、土浦の心を動かすだろうか。
 そうであればいいと思いながら、俺たちはその音色を奏でる場所へと向かって歩き出した。

 君だから惹かれる。君が奏でる音色だからこそ、俺は惹かれる。
 俺はきっと、そんな君と恋愛をしている。



日曜日の屋上で
2008.7.27
コルダ話22作目。
香穂子が覗きに行かなかった屋上での出来事。
名前で呼び合ってる割に甘さはちょっぴり控えめです。