TeaParty ~紅茶のお茶会~

『音色のお茶会』

音色の中の想い2

 ヴァイオリンの音色を探して、俺は走った。
 俺に向かっている、その想いが乗せられた音色を、俺の心を捉えて離さないヴァイオリンの音色を。
 ずっと、俺に届いていたはずなのに、気付いていなかったのは俺だ。
 ごちゃごちゃ考えるよりも前に、この音色だけ聴いていればよかったんだ。
 その音色に導かれるように辿り着いたのは練習室で、外へと開かれた窓から姿勢のよい後姿が目に入った。
 開け放たれた窓から、普段は防音で聴こえないはずの月森のヴァイオリンの音色が惜しみなく聴こえてくる。
 月森が奏でるその音色は、俺の心にしみこむように流れてくる。らしくない俺の気持ちを、包み込むように消し去ってくれる。
「月森…」
 演奏が終わったその余韻が消えないうちに、俺は窓からその後姿に声を掛けた。
「土浦っ、いつからそこに…」
 振り向いた月森は、少し驚いた顔をしていた。そして窓際まで歩いてくるその表情が突然、優しいものに変わる。
 そんな表情…急に、変え過ぎだ。
「お前が来ないから…」
 直視できなくてうつむくように視線をそらしたまま俺は小さくつぶやく。
 届いていたのは、月森の音色とそこに乗せられた想いだけだったから。そこに、月森本人がいなかったから…。
 続きの言葉を待っているのか、月森は何も言わない。そらしてしまったから、その表情もわからない。
 月森に何か言ってほしいのか、俺が続きを言うべきなのか。
 考えているうちに、月森が窓際まで来た気配を感じる。
「逢いたかった」
 言葉とともに、月森の指先が俺の頬に触れた。
 ずりぃ…。
 言いたかった言葉を、本当は聞きたかった言葉を、月森はなんでもないようにその口に乗せる。真っ直ぐに、俺に伝えてくれる。
「だったら、っ」
 続く言葉は、そっと触れてきた唇に飲み込まれた。
 だったら逢いに来いよ…なんて、言葉に出してはきっと言えなかったとは思うけれど。
「外だぜ、ここ」
 だから、言えなかった続きの言葉は、まるで文句のような言葉に変わってしまう。
 月森は練習室の中だけれど、俺は外に立っている。
「すまない。けれど確認はしたから」
 いつの間に、と思う。月森はどうしてこう、どんな時も冷静なんだろうか。
 俺ばっかりがジタバタしているみたいじゃないか。
「ずっと逢いたいと想っていたから、逢えて嬉しかった」
 そしてまた、今までに見たこともないような優しい表情で俺を見つめている。
 冷たいとさえ思える月森の手が触れている頬が、その冷たさとは逆に熱くなっていくのを自覚する。だからよりいっそう月森の手の冷たさが伝わって、触れられているんだと実感し、更に熱を帯びる。
「土浦…その…」
 真っ直ぐに向けられていた視線が少しそらされ、言いよどんだ月森の横顔も朱に染まっていた。その表情から目が離せなくて、俺は少し見上げるように月森を見ていた。
 月森の視線はそらされたままで、言いよどんだ言葉の続きを探すように彷徨っているように思えた。
「もう一度…」
 目を合わせるでもなくもう一度近付いてきた月森の顔は耳元に寄せられ、小さな声が届いた。
 瞬間、あの日のことが思い出される。
 また、何を言い出すんだろうか。
「もう一度キスしてもいいか」
 耳元でささやくような、でも熱い言葉がつむがれる。
 これ以上になることはないんじゃないかと思えるくらい、顔に熱が集まったのが分かった。
「さっきは聞く前にしたくせに」
 頬に触れた月森の手と、頬をなでるような月森の髪から逃げるようにその肩口に顔をうずめ俺はつぶやいた。
 こんな風に聞いてくるのは、外だと文句を言ったせいかもしれない。
 でも、改めて聞かれると答えに困るじゃないか。
「ちょっと横にずれてくれ」
 肩口から顔を上げ、月森の立ち位置を少しずれさせた。その間も顔の熱は治まらなくて、月森の顔を見ることはできなかった。
「土浦?」
 少し不思議そうな声音の問い掛けには返事をせず、俺は窓の桟に手をかけ、勢いを付けて練習室の中へと入った。
「外だと文句を言ったのは俺だからな…」
 言いながら、なんとなく、開けっ放しには出来なくて俺は窓を閉めた。
「土浦…」
 窓を閉めるために月森に背を向けていた俺は、後ろから抱きしめられた。
 心臓が、壊れそうだ。
 こんな風に強く、腕の中に抱え込まれたのは初めてだから…。
「好きだ」
 短く、耳元でささやかれた言葉に、心臓は更に悲鳴を上げるかのように激しさを増した。
 振り返りたいような、でも顔を見られないような、見せたくないような、でもその前に俺は動くことすら出来なくなっていた。
 前を見ると、窓ガラスに情けない顔の俺が映っていた。そんな俺の顔のすぐ傍に、月森の顔がある。
 そのガラス越しに、月森の真剣な視線とぶつかった。
「…ぁ…っ」
 その視線が不意に外された瞬間、月森の唇は俺の首筋に触れた。身体中に走ったなんともいえない感覚に、俺は小さな声を上げていた。
 吐息と唇が触れる熱と掠める髪の香りに、思考が止まる。
「土浦っ」
 身体をひねるように後ろを向かされ、月森の唇が重なる。触れるだけではない、深い口付け。
「んっっ、ちょ…、っと、待てって」
 体勢が苦しくて、俺は一度その唇から逃げるように月森の肩を押した。目を開けると月森が不機嫌そうな顔をしている。
 俺は身体ごと月森のほうに向き直り、離れてしまった唇を寄せた。俺が触れるよりも早く、奪われるようにそれは重なった。
「ぅん…」
 深く絡めるようなキスに自然と声が出てしまった。
 恥ずかしいと、そんな想いが心を掠めたけれど、それ以上の満たされた気持ちにかき消された。
「はぁ…」
 息苦しさに耐えかねて、頭を後ろに引いた。一瞬、息を吸うことは出来たが、引いた頭を窓ガラスに押し付けるようにしてすぐにふさがれてしまう。
 もう少し待って欲しいとも思うし、離れてしまうのはなんだか淋しくもある。
 余裕がないのはお互い様ってことか。
 俺は体重を支えるように後ろ手に付いていた手を月森の背に回した。
 引き寄せられて引き寄せて、触れた唇が、舌先が、熱い…。

 ずるずると壁伝いに身体が落ちてゆくことに、俺は焦った。
「はぁ…月森、これ以上はヤバいって」
 落ちるついでに唇がふいに離れた。ひとつ息を吸って、俺は追って座り込む月森に制止の声を掛けた。
 情けないけれど、膝に力が入らない。自分の体重すら支えきれない。
「土浦…」
 少し低めの少し掠れた声で呼ばれ、見つめてくる月森の顔が必要以上に近くにあって、俺はもう一度目をつぶりそうになる。
 普段は感情の読めない顔が、見たこともないような表情をしている。流されそうに、なる。
 その視線から逃れるように、俺は少しうつむいた。
「この数日間、どうしたらいいのかわからなかった。君に逢いたいのに逢いに行かれなかった」
 その声に顔を上げると、月森は少し辛そうにも思える表情をしていた。
「だからヴァイオリンを弾いていた。君に伝えたくて」
 確かにその音色は届いていた。俺にも、俺以外にも。
「伝わっていただろうか」
 俺の心の呟きが聴こえるはずのない月森はまだ、辛そうな表情のままだった。
「伝わり過ぎだ」
「え?」
 小さくつぶやいた俺の言葉に、少し驚いたような問いかけが返ってきた。
「音色ばかりが届いて、だから俺はどうしていいかわからなかった。自分の気持ちに振り回されっぱなしだった」
 噂の中の月森ばかりを考えて、思い出されるあの日の月森ばかりを考えて、俺は現実を見てなかったのかもしれない。
 逢いたいと、逢いに来て欲しいと、そんな風にずっと思っていたことにも気付かないで。
 素直に認めたはずだったんだけどな。
「俺も、逢いたかった」
 真っ直ぐ見つめたままは言えなくて、ほんの少しだけ視線をそらした。でもそらしたままもなんだか淋しくて、俺はゆっくりとそらした視線を戻した。
「ヴァイオリンの音じゃなくて、お前本人に逢いたかったよ」
 今じゃないと伝えられないと思った。こんな台詞、こんな状況じゃないと言えない。
 素直に気持ちを言葉にしてしまえば、心の中にあったわだかまりが解けてなくなっていくように思えた。
 認めていたはずの自分の気持ちよりもっと、あふれるような想いがある。月森を目の前にすると、そんな想いがあることを思い知らされる。その想いを伝えたいと思い、伝えて欲しいと思う。
 こんなにも俺は月森のことを…。
「月森…」
 その呼びかけに答える代わりに、月森の唇が軽く触れた。そして、小さな音を立て、そっと離れる。
 ゆっくり目を開けると、微笑んだ月森の顔が目の前にあって、今日、何度目だろうと思うくらいに顔が熱くなるのを感じた。
「逢いにきてくれてありがとう」
 そしてもう一度、唇が近づいてくる。
「今度は逢う約束でもしておこうぜ」
 触れるその前に小さくつぶやいたその言葉は、月森に聞こえただろうか。



音色の中の想い
2007.12.15
コルダ話7作目。
土浦乙女警報発令。
あぁ、まだ悩んでらっしゃったのですね。
じれったいので最後もじれったいまま…。